合戦峯(読み)かしのみね

日本歴史地名大系 「合戦峯」の解説

合戦峯
かしのみね

[現在地名]山江村山田

人吉ひとよし市に近い、山田やまだ川最下流の集落名で、古戦場と伝える。付近一帯にはじよう本城ほんじよう城下じようしたという字名が残り、郭および堀跡も一部確認されるので、中世城が存在した。観音堂があり、宝暦期(一七五一―六四)の門中堂社并代々先師書(水上村生善院蔵)によれば、高寺たかてら院の支配であり、「(ママ)之峯観音堂 処修理 本尊正観音 脇士毘沙門 地蔵」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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