吉母村(読み)よしもむら

日本歴史地名大系 「吉母村」の解説

吉母村
よしもむら

[現在地名]下関市大字吉母

現下関市の最北西部にあたり、東は永田郷ながたごう、北は室津上むろつかみ(現豊浦郡豊浦町)の各村と接し、南と西はひびき灘に面する小村。長府藩領で西豊浦郡中支配に属する。

正和二年(一三一三)八月一二日付の北条時綱奉書(長門一宮住吉神社文書)に「長門国一宮社番役事、為一宮・吉母・吉永三ケ所之役任先例可勤仕之旨、可被相触給主等之由候也」とみえる。また元応二年(一三二〇)の若宮大宮司職補任状(同文書)に「長門国吉母村若宮大宮司職事」とあり、応永一四年(一四〇七)九月付の治部少輔某奉書写(同文書)には「長門国一宮領吉母公文真鍋藤五事」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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