日本歴史地名大系 「永田郷」の解説 永田郷ながたごう 山口県:下関市永田郷[現在地名]下関市大字永田郷現下関市の北西部にあたり、村のほぼ中央を永田川が南流する。東は吉見上(よしみかみ)・吉見下(よしみしも)、西は吉母(よしも)、北は厚母(あつも)(現豊浦郡豊浦町)の各村と接し、南は響(ひびき)灘に面する。長府藩領で西豊浦郡中支配に属する。村名はもと正吉(まさよし)といった。建保三年(一二一五)二月付の永田郷正吉八幡宮文書に「正吉」とみえ、正応六年(一二九三)四月以降の同文書には「正吉郷」と記される。慶長五年(一六〇〇)の検地帳には「正吉村」、同一五年の検地帳には「正吉郷」、元禄一二年(一六九九)の郷帳には「正吉村」、豊浦藩明細書には「永田郷」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by