黒島(読み)くろしま

精選版 日本国語大辞典 「黒島」の意味・読み・例文・類語

くろ‐しま【黒島】

長崎県佐世保市に属する火山島。九十九島中最大の島。江戸時代からキリスト教の信仰が盛んなことで知られる。

くろしま【黒島】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「黒島」の意味・読み・例文・類語

くろ‐しま【黒島】

長崎県佐世保市にある島。九十九くじゅうく最大の島で面積約4.60平方キロメートル。江戸時代よりキリスト教信仰が盛ん。

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日本歴史地名大系 「黒島」の解説

黒島
くろしま

[現在地名]三島村黒島

鹿児島港から一四四キロの洋上に位置する周囲一五・二キロの火山性の島。最高峰はやぐら(六二一・九メートル)。東部に大里おおざと、西部に片泊かたどまりの港がある。海岸はほとんどが海食の断崖。東に硫黄いおう島、西に草垣くさがき群島がある。また北北東約六五キロに薩摩半島南端の枕崎、南南東約四〇キロに口永良部くちえらぶ島がある。面積は一五・六五平方キロ。

〔中世〕

薩摩国河辺郡十二じゆうに島のうち口五くちご島に含まれていたとみられる。建武元年(一三三四)六月二六日の観忍奉書(旧記雑録)に「河辺郡内黒島郡司職」とみえ、同職が千竈六郎左衛門入道に宛行われ、翌七月一七日に施行状が出された(「某施行状」同書)。興国四年(一三四三)一〇月二二日には「黒島硫黄郡司職」がかめまつ丸に与えられた(「某書下」同書)。一四七一年朝鮮で刊行された「海東諸国紀」の九州之図、明代の一五五七年に刊行された「日本一鑑」の絶海新篇図に当島が載る。

〔近世〕

河辺郡に属し、一島一村の扱いであった。寛永一六年(一六三九)の御分国惣高並衆中乗馬究帳(旧記雑録)によれば黒島の高二一石三斗余。元禄国絵図には硫黄島のうち黒島とあり、島回三里一三町、硫黄島から海上一〇里。藤井本「要用集抄」によれば正徳三年(一七一三)頃の所惣高三八石余、用夫一一九。鹿児島藩船奉行支配で、鹿児島から海路四一里。「三州御治世要覧」によると延享(一七四四―四八)頃の高四五石一斗余。「薩藩政要録」では大里村・片泊村の二村があげられ、用夫三八。嘉永四年(一八五一)には用夫一二〇(要用集)。庄屋はほぼ世襲であったようで、黒島庄屋系図によれば、文禄期(一五九二―九六)の日高新五郎から幕末の強次郎(郷次郎)まで一〇人の庄屋がいる。横目は大里村・片泊村にそれぞれいて、ともに日高氏が勤めた(三島村誌)

黒島
くろしま

西表いりおもて島の南東約一〇キロにあり、一島で字黒島くろしまを構成。石西せきせい礁湖内にあり、西表いりおもて国立公園に含まれる。石垣方言ではフシィマという。サフ島とよばれることもあり、サフ島が転じてフ島になったという説もある。「うらふにじらば」は、八重山から沖縄へ行く船は、黒島の、サフ島の上にかかった白雲から吹出した風に乗って航海すると無事に早く着くことができると謡う。「中山伝信録」に「姑呂世麻 訳為久里島、在八重山西少北」とみえ、「サマラン号来航記」にはKurushimaと記される。「寰瀛水路誌」にはボレー島という洋名で記されている。東西四キロ、南北四・八キロの南側を頂点とする三角状をなし、面積一〇・〇二平方キロの低島。最高標高は西海岸近くの一五・一メートルで、ほとんどが一〇メートル以下の川もない平坦な地形で、ヌングン(野の国)島に属する。北と西の海岸沿いには標高が一〇メートル以下の海岸砂丘が発達。地質的には島全体が第四紀更新世の琉球石灰岩で、中央よりやや東に北西―南東方向に走る断層がある。朝鮮の成宗八年(一四七七)与那国島民に救助された朝鮮済州島の漂流民三人が、新城あらぐすく島の次に護送された「后伊是麻」「伊是麼」が当島とみられている。漂流民らによると島は平坦で山はなく、一日で一周できる。黍・粟・麦はあるが稲はなく、米は西表島で入手していた(李朝実録)

島内には按司の居城跡と伝える遺跡などが多数ある。

黒島
くろしま

[現在地名]佐世保市黒島町

たか島の南西にある黒島を村域とする。西部にばん岳がある。樹木が密生して海上から黒く見えたことから黒島と称されたとも、キリシタンが多く住したためクルス島とよばれたのが転訛したともいわれる。別にみず島とも称される。文永八年(一二七一)一一月二五日の将軍家政所下文案(青方文書)に「肥前国平戸・河内・野崎・南黒島・小値賀島」とみえ、峰持が建長六年(一二五四)に孫の源湛(峰湛)に譲った当地などの地頭職が安堵されている。

黒島
くろしま

[現在地名]伊方町湊浦

伊方港の沖合約四キロの宇和海上にある小島。「古今著聞集」に「伊予国矢野保の黒島の鼠海底に巣喰ふ事」という説話がある。

<資料は省略されています>

とあり、鎌倉時代には黒島は矢野やの保に属していたことがわかる(→矢野保

江戸時代には伊方浦の枝浦佐瀬部させべ(現湊浦)に属した。

黒島
くろしま

[現在地名]鷹島町黒島免くろしまめん

鷹島の北西にある黒島を村域とする。江戸時代は平戸藩領で、慶長九年(一六〇四)の平戸領惣目録に「黒島」とみえ、高二〇石余。慶長国絵図・正保国絵図でも同様。慶安年間(一六四八―五二)志佐陣内しさじんのうち(現松浦市)の志佐昌兵が当島を突然攻めてきたため、島の領主の石堂氏が防戦したとされ、その一族の墓が残る。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では鷹島村内に黒島免と記される。元禄一二年(一六九九)の平戸領分郷村帳では鷹島村枝村として黒島とあり、高二〇石余。享保二年(一七一七)鷹島の阿翁あおう浦との間にあるかき瀬の付近に二度にわたって唐船が入り込んだが、これを焼討ちし、その賞金で氏神社の八大竜王大明神を建立したという(浦家文書・「平戸市史」「鷹島町郷土誌」)

黒島
くろしま

[現在地名]小値賀町黒島郷くろしまごう

小値賀島の南に位置する黒島全域を村域とする。鎌倉かまくら岳は弘安年間(一二七八―八八)に雪渓が鎌倉建長寺を創立する前に来島、小庵を営んだことに由来するという。江戸時代は小値賀島のうちで、正保四年(一六四七)の小値賀郡代書付(五島堺目旧記)に村名がみえ、高三八石余。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では小値賀内に黒島免とある。元禄一二年(一六九九)の平戸領分郷村帳では小値賀村枝村として高一四石余。

黒島
くるしま

[現在地名]渡嘉敷村渡嘉敷

渡嘉敷とかしき島の北東約四・七キロに位置する。面積〇・二七平方キロ。最高点一二六・一メートルの高島。北西から南東へ延びる細長い島で、長さ約一キロ、最大幅約三五〇メートル。地形は島中央の三角点を最高点とする丘陵からなり、海岸には一〇〇メートルを超える海崖が発達する。低地は崖下に点在する狭小な砂浜で、南側にはトンボロ(島と島をつないだ砂洲)がある。島の周囲は最大幅約二〇〇メートルのサンゴ礁に縁取られている。

黒島
くろしま

[現在地名]由良町衣奈

衣奈えな海岸から北沖一・五キロに浮ぶ周囲四キロの円錐形の島。原生林に覆われて黒くみえるところから名がついたという。岩石も周辺の島と異なり、深造岩の花崗斑岩からなる。マメ科の亜熱帯植物ハマカズラの自生北限地として有名(県指定天然記念物)。ハマカズラは、江戸時代漢方薬として用いられ、医学書「紀州本草」にもその名がみえる。従来田辺湾沖の島が本州の自生北限地とみられていたが、大正五年(一九一六)黒島北側に大小十数株のハマカズラの群生が発見された。

黒島
くろしま

[現在地名]岩国市大字柱島 黒島

はしら島一二島のうち、本島の西方八キロばかりにある、周囲三キロ余の島。初め子牛の放牧に利用するだけの無人島であった(玖珂郡志)が、天保元年(一八三〇)初めて開発、岩国藩庁の諸証文帳に、「柱島端島共、追々人数相増、分地罷出候之場相も無之に付、柱十二島之内、黒島え人家田畠取立之儀歎出、其分に被仰付候之事」とある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒島」の意味・わかりやすい解説

黒島
くろしま

長崎県北西部,佐世保市の旧村域で,北松浦半島の南西方にある島。1954年佐世保市に編入。島民の大部分はカトリック信徒で,黒島天主堂,女子修道院がある。島内には江戸時代の潜伏キリシタンゆかりの史跡が点在し,2018年「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として,島のほぼ全域が世界遺産の文化遺産に登録された。農業は畑作が中心。漁業は一本釣り刺網漁などが主。佐世保市の相浦港から定期船が運航する。面積 4.60km2。人口 778(2000)。

黒島
くろしま

沖縄県八重山諸島中央部,石垣島の南南西約 20kmに位置する低平な島。竹富町に属する。畜産の島,ウシの島として知られ,人口のおよそ 10倍ものウシが放牧されている。表土が少なく,島全体が琉球石灰岩からなる。周囲にはサンゴ礁が発達し,黒島ウラビシ・キャングチ・仲本海岸海域公園地区に指定。全島が西表石垣国立公園に属する。面積 10.02km2。人口 193(2020)。

黒島
くろしま

鹿児島県南部,薩摩半島の南方約 60kmの海上にある火山島。口之三島の1つで三島村に属する。最高点は櫓岳 (622m) 。全島が亜熱帯性の森林におおわれ,遠目には黒く見えるのでこの名がある。産業はウシの放牧,木材の切出し,漁業など。鹿児島港から定期船が就航。面積 15.37km2。人口 259 (2000) 。

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百科事典マイペディア 「黒島」の意味・わかりやすい解説

黒島【くろしま】

鹿児島県薩摩半島の南約50kmにある火山島。硫黄(いおう)島,竹島とともに鹿児島郡三島村に属し,面積15.39km2,安山岩からなり全島森林におおわれる。中世には黒島郡司職が置かれ,江戸時代には鹿児島藩の船奉行の支配下にあった。木材切出し,牛の放牧,サツマイモ栽培を行う。鹿児島から定期船便がある。
→関連項目大隅諸島川辺十島

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デジタル大辞泉プラス 「黒島」の解説

黒島〔長崎県小値賀町〕

長崎県北松浦郡小値賀町(おぢかちょう)、五島列島の北にある平戸諸島の島。面積約0.24平方キロメートル。小値賀島南部の笛吹郷の南に位置し、本島とは金比羅大橋で結ばれる。古墳時代の墳墓群「神ノ崎遺跡」があり、県の史跡に指定されている。黒島園地には展望台がある。

黒島〔大分県〕

大分県臼杵市、尾本港の沖約300メートルに位置する島。面積約0.2平方キロメートル。徳川家康に外交顧問として仕えた英国人、ウイリアム・アダムズ(三浦按針)を乗せたオランダ船が漂着したのはこの島とされ(異説もある)、三浦按針上陸記念公園がある。

黒島〔鹿児島県〕

鹿児島県鹿児島郡三島村、南西諸島の島。薩摩半島の坊岬の南西約50キロメートルに位置する。面積約15.37平方キロメートル。安山岩で出来た火山島で、島の中部には標高500~600メートルの山が連なり、独特な植物相を持つ森林が発達している。

黒島〔山口県〕

山口県岩国市、岩国港の南東約23キロメートルの安芸灘に浮かぶ柱島群島の島。柱島の西方に位置し、面積は約0.54平方キロメートル。かつては柱島住民の牛の放牧地で、天保年間に入植が始まった。島東部に三島神社がある。

黒島〔岡山県〕

岡山県瀬戸内市、牛窓港沖、前島の南西に位置する島。面積約0.1平方キロメートルの小島。干潮時のみ姿を現し、中ノ小島、端ノ小島と黒島の間を結ぶ砂の道「黒島ヴィーナスロード」はパワースポットとして観光客に人気。

黒島〔長崎県五島市〕

長崎県五島市、五島列島の福江島南東にある島。福江の東方約5キロメートルに位置する。面積約1.12平方キロメートル。明治時代建造の富江小学校黒島分校があったが、1990年代に廃校となった。

黒島〔岩手県〕

岩手県久慈市侍浜町外屋敷にある無人島。2009年に政府の総合海洋政策本部が策定した「海洋管理のための離島の保全・管理のあり方に関する基本方針」に基づき、名称付与された離島のひとつ。

黒島〔長崎県松浦市〕

長崎県松浦市、鷹島の北西約2キロメートルに位置する平戸諸島の島。面積約0.82平方キロメートル。江戸時代には「黒島石」と呼ばれる御影石の産地として知られた。

黒島〔愛媛県伊方町〕

愛媛県西宇和郡伊方町、佐田岬半島付け根から南西約2.4kmの宇和海に浮かぶ無人島。周辺海域はイワシやアジの好漁場。同県宇和島市の黒島とは別の島。

黒島〔熊本県〕

熊本県天草市御所浦町、御所浦島本郷地区から西へ焼く4.5km、牧島の南西に位置する無人島。夏季には海水浴場キャンプ場が開かれる。

黒島〔和歌山県〕

和歌山県日高郡由良町、衣奈地区の北西約1.7kmに位置する無人島。ハマカズラの自生北限地として知られる。

黒島〔愛媛県宇和島市〕

愛媛県宇和島市蒋淵半島の南約2.1kmに位置する無人島。同県西宇和郡伊方町の黒島とは別の島。

黒島〔長崎県対馬市〕

長崎県対馬市、対馬島の中南部、三浦湾の入り口に位置する無人島。対馬黒島灯台が設置されている。

黒島〔沖縄県〕

沖縄県島尻郡渡嘉敷村、前島の北西約6.8kmに位置する無人島。ダイビングや磯釣りの好適地。

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