日本歴史地名大系 「向関村」の解説 向関村むこうぜきむら 長野県:下伊那郡阿智村向関村[現在地名]阿智村大字伍和(ごか)阿知(あち)川右岸、北は中関(なかぜき)、東は備中原(びつちゆうばら)、南は大鹿倉(おおかぐら)、西は駒場(こまば)に接する。元亀・天正(一五七〇―九二)の頃は下条氏の領地で天正一九年の信州伊奈青表紙之縄帳に「一、下弐百九拾九石五升七合 向関村」とある。慶長六年(一六〇一)より宮崎筑後守忠政の所管となり、その後宮崎半兵衛泰重へ譲られた。延宝七年(一六七九)幕府に一〇〇石を没収され、宝永四年(一七〇七)に残りも没収され幕府領となった。前記を古料(こりよう)といい、後を新料という(長野県町村誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by