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吾妻能狂言 あづまのうきょうげん

世界大百科事典内の吾妻能狂言の言及

【鷺流】より

…宗玄の甥政俊(了意)が伝右衛門家の初世で,その末子保教などが継いだが,幕府の滅亡とともに11世を最後に廃絶した。有力な弟子家として伝右衛門派の名女川六左衛門(なめかわろくざえもん)家などがあり,江戸時代には隆盛を誇ったが,明治時代になって,宗家に流儀を統率する能力がなく,弟子たちは能楽と歌舞伎の折衷演劇である吾妻能狂言(あづまのうきようげん)に参加して能楽界から絶縁されたり,他流に移ったりして流儀そのものが消滅するに至った。地方に広がった芸統は,新潟県や佐渡などに残り,今日も山口県に仁右衛門派の芸統を伝える人たちがいるが,地方芸能化して中央能楽界とは無縁である。…

【照葉狂言】より

…囃子は能の楽器のほかに三味線を加えた。今様能,吾妻能狂言,泉祐(仙助)能(せんすけのう)などと呼ぶのも同系統。名称の由来はわかっていない。…

【藤舎芦船(藤舎呂船)】より

…1859年(安政6)ころより歌舞伎の太鼓方,小鼓方を勤める。明治初年に藤舎芦船を名のり,浄瑠璃や長唄によって能を舞う吾妻能狂言(あづまのうきようげん)に参画し,2世杵屋(きねや)勝三郎の吾妻能狂言《安達原》《船弁慶》の作曲に有力な助言を与えたという。また,歌舞伎囃子のほうでは太鼓方として活躍した。…

【長唄】より

…明治前期(明治30年ころまで)では三味線方の3世杵屋勘五郎,2世杵屋勝三郎,3世杵屋正次郎が作曲の三傑として傑出している。勘五郎は《橋弁慶》《綱館(つなやかた)》《望月》,勝三郎は能役者日吉(ひよし)吉左衛門の主唱する邦楽を地に能を舞う吾妻能狂言のために《船弁慶》《安達原》,正次郎は歌舞伎長唄に手腕を発揮し《連獅子》《土蜘》《元禄花見踊》《茨木》《鏡獅子》などを作曲している。また,1868年(明治1)には3世杵屋勘五郎が大薩摩節の家元権を正式に譲られ,以後,大薩摩節は長唄演奏家の兼名,兼業となった。…

※「吾妻能狂言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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