唯浦(読み)ただうら

日本歴史地名大系 「唯浦」の解説

唯浦
ただうら

[現在地名]平田市美保町みほちよう

塩津しおつ浦の東にあり、東は三津みつ浦。北を日本海に面した浦方で、近世には楯縫たてぬい郡に属した。谷田浦・只浦とも記した。正保国絵図には「谷田浦」とみえ、「雲陽大数録」では高なし。寛政四年(一七九二)の万差出帳(平田市立旧本陣記念館蔵)によると石新田一斗余、天保一四年(一八四三)の東組・西組順村手引帳(平田市立図書館蔵)では石新田五斗余で、同一三年の免は四ツ五分。寛政四年には水夫米(四斗)や船役銀を負担、船役の内訳は八〇石積・七〇石積各一、伝渡船六・手安船一・伝馬船一〇で、ほかに庄屋御免の伝渡船一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報