平田市(読み)ヒラタシ

デジタル大辞泉 「平田市」の意味・読み・例文・類語

ひらた‐し【平田市】

平田

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「平田市」の解説

平田市
ひらたし

面積:一二八・〇四平方キロ(境界未定)

県の北東部、島根半島の西部を占める。北は日本海に面し、東は松江市、南は宍道湖および簸川ひかわ斐川ひかわ町と出雲市、西は簸川郡大社たいしや町と接する。市域の南端を東流する斐伊川は、市内灘分なだぶん町と島村しまむら町との境で宍道湖に注ぐ。かつての宍道湖は現在の市街地近くまで湾入していたが、斐伊川の沖積作用によって浅瀬となり、江戸時代、新田として漸次開発された。この開発地帯を除くと平地は少なく、大半が北山山地の東端部や島根半島の脊梁部を形成する山地・丘陵地である。この脊梁部を分水嶺として宍道湖・斐伊川や日本海に注ぐ多くの小河川が山地を開析している。南部を国道四三一号と一畑電鉄北松江線が並行しながら横断し、主要地方道斐川―一畑―大社線が北部の日本海沿いから東部を周回するように走る。ほかに南北を結ぶ路線として県道小伊津港こいづみなと線、同十六島うつぷるい直江なおえ停車場線などがある。市名は、中世から湖上水運と陸路の接点として賑わい、近世も引続いて流通拠点とし発展した平田町を継承する。

〔原始・古代〕

市内には遺跡が総数で約二五〇ヵ所ある。そのうち原始・古代に属するものは約一六〇ヵ所、内容は古墳が九割以上を占めている。このことは原始・古代に関して古墳時代を除くと不明の部分が多々あることの表示でもある。市域の歴史の曙は、今のところ猪目いのめ洞窟で検出された縄文中期の少量の土器で知る以外にない。この土器を残した人たちは、また同洞窟の最初の使用者であるが、どのような事情でここに住みついたのかは不明である。日本海沿岸部には縄文中期の遺跡が比較的珍しく、関連資料の発見がまたれる。弥生時代の情報も少なく、この時代でも猪目洞窟の発見物が市史の歩みを探る貴重な資料となっている。発見された前・中・後期の弥生土器の存在が、漁労者による生活の場としての同洞窟の利用期間を示すとともに、南海産のゴホウラ貝製腕輪を着装した男性の埋葬は、ここが出雲平野一帯を統括する首長層の常世の世界でもあったことをも示唆している。このほかに美談みだみ荒木あらきの美談土壙墓でシカの線刻画をもつ弥生土器が発見されているが、表現法に九州の影響を認める考え方がある。生活跡としては国富くにどみ町の源代げんだい遺跡が数少ない事例で、前期から後期の弥生土器に須恵器・土錘・碧玉片・木製品などが出土した。同遺跡は市域最大の沖積地の一角にあり、水田跡の存在も予測され、平野の中核となる集落跡の可能性がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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