デジタル大辞泉 「天狗」の意味・読み・例文・類語
てん‐ぐ【天×狗】
2 《1が鼻の高いところから》自慢すること。うぬぼれること。高慢なこと。また、その人。「
3 《「てんく」とも》落下の際に大音響を伴う、非常に大きな流星。
[類語]自慢・誇る・うぬぼれる・おのぼれる・思い上がる・誇らしい・胸を張る・肩身が広い・鼻が高い・鼻高高・勝ち誇る・驕る・威張る・威張り散らす・付け上がる・高ぶる・反り返る・振り回す・鼻にかける・増長・慢心・自画自賛・誇示・
「書紀‐舒明九年二月」に、星座の異変が、地上の異変をもたらすものとして、「天狗」(北野本訓ではアマツキツネ)が出ている。この「書紀」の文章にある「異変をもたらすもの」「天空を飛ぶもの」「天と山をつなぐ、大音を発する怪物」という概念が、まず山の神霊と結びつけられ、①となったのであろう。一方では山岳信仰を奉ずる修験道の山伏が、この概念を活用するに及んで、鳥類型天狗と僧侶型天狗を経て、山伏型天狗が現われてくる。
天狗は日本人の霊魂観から発する霊的存在で,さまざまに形象化されて庶民信仰の対象となり,絵画,彫刻,芸能に表現され,口誦伝承や民間文芸の主題となった。原始的神霊観に支えられているので,顕著な善悪二面性をもつが,天狗を信仰対象や芸術,芸能,文芸にとりいれたのは,山岳宗教の修験道であった。したがって一般的認識では天狗即山伏というような印象をもたれている。この宗教の世界では天狗の原質は山神山霊と怨霊である。したがって善天狗は修験道の寺院や霊場や修行者を守る護法善神で,〈南無満山護法善神〉といって礼拝される。護法童子(護法),金剛童子としてまつられるのはその山の山神(山の神)たる天狗である。このような山神天狗はその山の開山たる高僧や,行力ある山伏に服属して,守護霊であるとともに使役霊となって,諸国を弁ずる。したがって疾走飛行自在であり,飛鉢法によって山上に食物や水をもたらすことができると信じられた。平安時代には天狗は天童や金剛童子と呼ばれていて,童子形で表現されたのはそのためである。それは豊後国東(くにさき)半島の屋山(ややま)長安寺の太郎天像(平安時代)や《信貴山縁起絵巻》に見られ,《古事談》は平安時代の山伏浄蔵の話として,唐装束の天童の飛鉢を語っている。しかし山神山霊には荒魂的荒暴があり,暴風雨を起こし,怪音を発し人をさらうと信じられたから,これが天狗に投影されて悪天狗の恐怖が生まれた。
天狗の名称は,文献的には《日本書紀》舒明天皇9年の条に見え,雷音を発して飛んだ流星を中国の知識で〈天狗(あまつきつね)〉と呼んだことに発し,日本の霊的存在としての天狗とはまったく異なる。これは天童子が飛行するところから混用したかも知れないし,天童子が神仏に奠供(てんぐ)するところからきたかも知れない。しかし民間用語としては〈天白(てんぱく)〉とか〈天ぐう〉〈天ぐん〉などと呼ぶ。また修験道の山では善悪両面をもつ天狗を奥院にまつり,大魔王尊と呼ぶところがある。とくに有名なのは京都北山の鞍馬山で,天狗の絶大な除魔招福の霊力を,恐怖とともに信仰祈願する者が絶えない。この天狗の別称は大僧正で,大魔王尊は僧正谷にまつられている。牛若丸に武技を授けた天狗としても人口に膾炙(かいしや)しているが,大僧正の名称は上級山伏を大僧(だいそう)と呼ぶところからきているであろう。
このように天狗即山伏という概念が成立した原因には,二つの筋道が考えられる。その一は修験道の修行は苦行精進の結果として山神と同体化(即身成神)し,その絶大な霊力を身につけて超人間的験力(げんりき)を得ることである。ここに山神天狗と山伏の同体化がある。その二は修験道の山岳寺院では正月の修正会(しゆしようえ)や3月の法華会,6月または7月の蓮花会などの法会に延年舞が行われ,これを山伏や稚児が演ずる。このとき神楽,田楽,舞楽,伎楽,散楽などが演じられたなかで,もっとも頻繁に用いられた仮面が,悪魔を払うと信じられた鬼面と天狗面であった。その服装は山伏装束で,天狗面をつければ,山伏即天狗となる。山神の化身的霊物としては鬼も天狗も同じであるが,その仮面もその起源はともに伎楽面にある。なかでも天狗面は伎楽の先払いとして魔を払う治道(ちどう)面と,毒蛇を食べるという迦楼羅(かるら)面で,治道は鼻高面,迦楼羅は烏面なので,鼻高天狗と烏天狗という2種の天狗の形象化が起こったのである。
次に怨霊が天狗となるという信仰があって,これを〈魔道に堕ちる〉という。怨恨を抱いて死んだ者やみずからの力を自慢しながら不満を抱いて死んだ者は魔道に堕ちて人にたたり,世に災禍を起こすといって恐れられた。そのもっとも顕著な例は《太平記》巻二十七の〈雲景未来記〉で,南北朝の大動乱は崇徳院,後鳥羽院,後醍醐院や,玄昉,真済,慈恵,尊雲など不遇の高僧が大魔王となって起こしたものとする。これらの大天狗の集会するところは京都の愛宕山とされているが,その天狗が比叡山,園城寺,東寺,醍醐寺,高野山,東大寺,興福寺などを驕慢の徒と批判風刺したのが《天狗草紙》である。これに対して愛宕の天狗と中国から渡った是害房(ぜがいぼう)天狗が,比叡山の高僧に散々こらしめられるというのが《是害房絵詞》で,ともに天狗のイメージの種々相を活写した中世の絵巻物である。また山村における天狗の祭りとこれに伴う天狗の舞を芸能化した代表的民俗芸能は,奥三河の花祭である。この祭りは山頂の高嶺(たかね)祭で山神天狗をまつり,その天狗天白を祭場(舞所(まいと))の屋根棟に迎えて,その下で徹宵の舞が行われる。中世の延年の一部が山人の村に残ったのである。能楽では《鞍馬天狗》《葛城天狗》《松山天狗》《是界(せがい)》《第六天》《大会》《車僧》などの曲があり,そのなかに著名な山の天狗が出てくる。すなわち彦山の豊前坊,白峯の相模坊,大山の伯耆坊,鞍馬の大僧正,愛宕山の太郎坊などで,今も庶民信仰の対象となっていて,本社,本寺に並んで信者が多いところもある。また昔話,伝説のなかにも天狗を物語るものが多いのは,それだけ庶民に親しまれる存在だったからである。
執筆者:五来 重
天狗は赤顔長鼻で白髪を垂らし,山伏の服装をして高下駄をはき,手には羽うちわをもつと一般にイメージされている。しかし,こうした天狗像は比較的成立が新しいとされ,むしろ各地でグヒン,山の神,大人(おおひと),山人などと呼ばれているように,天狗は元来村里とは別世界の山中に住む異人として考えられていたようである。天狗は強い力と激しい感情をもち,出産の荒血(あらち)など不浄を非常に嫌うほか,空中を自在に飛翔するといわれている。これらの特徴も,山中を自在に駆け,背が高く眼光が鋭いという山人など山住みの生活者のイメージを反映したものと考えられる。
また天狗は,天狗倒し(山中で大木を切り倒す音がするが行ってみると何事もない),天狗笑い(山中でおおぜいの人の声や高笑いする声が聞こえる),天狗つぶて(大小の石がどこからともなくバラバラと飛んでくる),天狗ゆすり(夜,山小屋などがゆさゆさと揺れる),天狗火,天狗の太鼓などさまざまな怪異を働くが,こうした怪音,怪火の現象は山の神などの神意のあらわれと信じられ,山小屋の向きを変えたり,山の神をまつって仕事を休んだりした。天狗は山中だけでなく里近くでも天狗隠しといって,子どもなどを神隠しにあわせる怪異をなした。天狗隠しは季節交替期である旧暦4月ころに多く,あとには履物がきちんとそろえてあるので,それとわかるという。天狗隠しの場合,村中で鉦太鼓を打って探したが,木や屋根の上,何度も探した同じ場所などで見つかることが多い。また天狗松といって,天狗が腰かけて休んだとか住んでいたと伝えられる松があり,それを切ろうとした者には怪異が起こり,けっして切らせないという。石川県河北郡では行方不明になった者の名を天狗松の木の下で呼んで,天狗に返還を求めたという。天狗には,一定の通り道や聖域があり,そこはこの世と異界の境でもあって,侵犯した者には怪異をもって知らせたのである。昔話のなかの天狗は子どもに計られて宝物を奪われてしまうなど,笑話化されて語られるものが多い。
執筆者:飯島 吉晴
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
山中に住むといわれる妖怪(ようかい)。中国では、流星または彗星(すいせい)が尾を引いて流れるようすを、天のイヌまたはキツネに例え、仏教では夜叉(やしゃ)や悪魔のように考えられていた。日本では仏教を、当初は山岳仏教として受け入れ、在来の信仰と結び付いた修験道(しゅげんどう)を発達させたが、日本の天狗には修験道の修行者(しゅぎょうじゃ)=山伏(やまぶし)の姿が色濃く投影している。一般に考えられている天狗の姿は、赤ら顔で鼻が高く、眼光鋭く、鳥のような嘴(くちばし)をもっているか、あるいは山伏姿で羽根をつけていたり、羽団扇(はうちわ)を持っていて自由に空を飛べるといったりする。手足の爪(つめ)が長く、金剛杖(づえ)や太刀(たち)を持っていて神通力があるともいう。これらの姿は、深山で修行する山伏に、ワシ、タカ、トビなど猛禽(もうきん)の印象を重ね合わせたものである。また天狗の性格は、感情の起伏が激しく、自信に満ちてときに増上慢(ぞうじょうまん)であるが、一方では清浄を求めてきわめて潔癖である。天狗に大天狗と、烏(からす)天狗や木(こ)っ葉(ぱ)天狗などとよばれる小天狗との別があるというのも、山伏が先達(せんだつ)に導かれながら修行するようすを投影したものであろう。
人が突然行方不明になることを、神隠しにあったという。中世以前はワシや鬼に連れ去られたといったが、近世以後は天狗にさらわれたという事例が急増する。天狗にさらわれた子供が数日たって家に戻ってきたり、空中を飛んだ経験を話して聞かせたなどの記録が残っている。近代の天狗のイメージには、近世に形成されたものが多いようである。妖怪を御霊(ごりょう)信仰系のものと祖霊(それい)信仰系のものとに大別すると、天狗は後者に属する。中国伝来の諸要素を多く残しながら、祖霊信仰に組み入れることによって山の神の性格を吸収したのであろう。そのため群馬県沼田市の迦葉山弥勒寺(かしょうざんみろくじ)、栃木県古峯原(こぶがはら)の古峯(ふるみね)神社、そのほか修験道系統の社寺において、天狗を御神体もしくは使令(つかわしめ)(神様のお使い)として信仰する例が多い。
天狗がまったく妖怪化した段階では、種々の霊威・怪異の話が伝承されている。子供をさらって行くというのもその一つであるが、各地の深山で天狗倒し・天狗囃子(ばやし)などの話がある。天狗倒しは、夜中に木を伐(き)る音、やがて大木の倒れる音がするが、翌朝行ってみるとどこにも倒れた木がないという怪異現象であり、天狗囃子は、どこからともなく祭囃子の音が聞こえてくるというものである。村祭りの強烈な印象や、祭りの鋪設(ほせつ)のための伐木から祭りへの期待感が、天狗と結び付いて怪異話に転じたものであろう。そのほか、山中で天狗に「おいおい」と呼ばれるとか、どこからともなく石の飛んでくるのを天狗のつぶてということがある。昔話では、かなり笑話化されているが「隠れ蓑笠(みのかさ)」というのがある。むかし、ある子供が「めんぱ」に弁当を入れて山へ行く。天狗がいるので「めんぱ」でのぞき、京が見える、五重塔が見えると欺く。天狗が貸せというので隠れ蓑笠と交換する。天狗はのぞいてみたが何も見えないので、だまされたと気づいて子供を探すが、隠れ蓑笠を着ているのでみつからない。子供は隠れ蓑笠を使って盗み食いする。あるとき母親が蓑笠を焼いてしまう。灰を体に塗り付けて酒屋で盗み飲みすると、口の周りの灰がとれて発見され、川へ飛び込んで正体が現れるといった類の話である。伝説には天狗松(天狗の住む木)などがあり、民家建築の棟上げのとき、棟の中ほどに御幣(ごへい)を立ててテンゴウサマ(天狗様)を祭る所もある。
[井之口章次]
『『山の人生』(『定本柳田国男集4』所収・1967・筑摩書房)』▽『井之口章次著『日本の俗信』(1975・弘文堂)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…仏教に由来する語で,仏道をさまたげる悪神,人にわざわいを与える魔物を指す。魔は梵語〈マーラ(魔羅)〉の略で,人を殺したり人心を悩ませる悪霊,魔物であり,江戸時代には多く天狗を指した。天狗は人に害をなす反面,獲物のとれる方向を太鼓で知らせたりするよい面をそなえている。…
…それらは固有信仰の古い神々の零落した姿としての〈おばけ〉,またあの世にさ迷い苦患する霊魂としての亡霊の,二つに分極してゆく。中世ではこれを〈天狗〉の思想でまとめ,また芸能としての〈能〉は,鎮魂しきれない人間の妄執のカタリを大きな主題としていた。江戸時代に入ると,あらためて,民間の怪談を互いに語り合う流行が生じ,〈百物語〉〈お伽はなし〉〈諸国はなし〉が武家層から庶民層にまで,大いに行われた。…
…子どものことが多いが,成人の場合には妊娠中の女性や病弱あるいは異常心理状態の男女にみられる。さまざまな神霊が神隠しを行うとされるが,天狗にさらわれたとするところが多い。神隠しにあったときは,村中の者が鉦(かね)や太鼓をたたき,隠された者の名を呼び,〈かえせ,もどせ〉と叫んでさがしまわるのが一般的なならわしであった。…
…外術(げじゆつ),外道(げどう)ともいう。天狗の行う法術(呪術)は外法であると考えられており,天狗のことを外法様,その術を行うことのできる僧を外法僧ということがある。外法僧の多くは,山伏や陰陽師たちであった。…
※「天狗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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