日本歴史地名大系 「楯縫郡」の解説
楯縫郡
たてぬいぐん
〔古代〕
「出雲国風土記」に記す伝承によれば、神魂命が天御鳥命を
「延喜式」神名帳記載の楯縫郡小九座は玖潭神社(久多美社、現平田市久多美町の玖潭神社に比定)、佐香神社(佐加社、現平田市小境町の佐香神社に比定)、宇美神社(宇美社、現平田市平田町の宇美神社に比定)、多久神社(多久社、現平田市多久町の多久神社に比定)、御津神社(御津社、現平田市三津町の御津神社に比定)、能呂志神社(乃利斯社、現平田市野石谷町の野呂石神社に比定)、許豆神社(許豆社、現平田市小津町の許豆神社に比定)、水神社(水社、現平田市本庄町の水神社に比定)である(括弧内の社名は風土記の表記)。天平一五年七月五日、楯縫・出雲二郡は激しい雷雨に見舞われ、山岳が崩れて家を壊し田を埋めたという(続日本紀)。延暦二〇年(八〇一)六月二七日、島根郡人・出雲郡人らとともに楯縫郡人品治部首真金が長門国に配流されている(類聚国史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報