朝日日本歴史人物事典 「喜多川宗典」の解説
喜多川宗典
江戸中期の装剣金工家。京都に生まれたとされ,幼名を秀典と称した。延享~寛延年間(1744~51)ごろ,近江国彦根中藪(滋賀県彦根市)に住し,花鳥・風景・合戦図などを高彫り象嵌や色絵の技法を駆使して,にぎやかに表す彦根彫りと呼ばれる一派を形成し,広く世に流行をみた。代表的作品に「熊坂義経透鐔」「仙人透鐔」(いずれも東京国立博物館蔵)などがある。切銘に喜多川(河とも記す)・藻柄子があり,75歳以上の長寿を全うしたことが知られ,また1代限りではなく何代か続いたものとみなされている。<参考文献>『東京国立博物館図版目録』鐔篇
(加島勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報