喜汁村
きじゆうむら
[現在地名]津和野町田二穂
鷲原村の北、城山の南西麓山地と津和野川左岸の河岸平地に立地。喜時雨とも記す。中世吉見氏が城山に築造した三本松城(津和野城)の大手にあたり、吉見氏居館が置かれ山下集落として発展していたと思われる。天文二三年(一五五四)六月から七月にかけ、陶晴賢勢は三本松城攻略のため「喜汁表」で合戦を展開した(六月四日「白井賢胤軍忠状」白井家文書、九月二〇日「乃美備前守賢勝軍忠状」小早川家文書)。要害山・本門口・本門前の地名が残る。なお神田・祭事免・堂免という祭祀関係の地名も残る。寛永一四年(一六三七)の田方検地帳(津和野町郷土館蔵)によれば田高一二七石余・反別一一町八反余。宝永石見国郷村帳では高三二八石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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