日本歴史地名大系 「嘉陽門院御所跡」の解説 嘉陽門院御所跡かようもんいんごしよあと 京都市:中京区壬生村嘉陽門院御所跡後鳥羽天皇皇女で、元久元年(一二〇四)賀茂斎院となったが、その後病によって退き、建保二年(一二一四)に院号宣下を受けた礼子内親王の御所跡。「明月記」嘉禄二年(一二二六)六月一三日条に「今夜依祇園御霊会、行幸四条・壬生嘉陽門院御所云々」とあり、跡地は現壬生賀陽御所(みぶかようごしよ)町にあたる。嘉陽門院がこの御所に移ったのはこの院号宣下の後であろうと思われ、「百錬抄」によれば承久二年(一二二〇)には出家している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by