デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「嘉陽門院」の解説 嘉陽門院 かようもんいん 1200-1273 鎌倉時代,後鳥羽天皇の第2皇女。正治(しょうじ)2年生まれ。元久元年内親王となって賀茂斎院にさだめられ,准三宮(じゅさんぐう)となる。建暦(けんりゃく)2年病気のため斎院をしりぞく。建保(けんぽ)2年(1214)院号をうけ,のち出家した。文永10年8月2日死去。74歳。名は礼子。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「嘉陽門院」の解説 嘉陽門院 没年:文永10.8.2(1273.9.14) 生年:正治2(1200) 鎌倉前・中期の女院。最後の斎院。名は礼子。後鳥羽天皇の第三皇女。母は内大臣坊門信清の娘西御方。5歳で斎院に卜定され,内親王となった。病により13歳で退下。その後祖母の七条院と同居し,15歳で女院となった。 (秋山喜代子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by