日本歴史地名大系 「壬生村」の解説
壬生村
みぶむら
東は下京の町地に、西は
平安時代の条坊では左京四条一坊、同五条一坊の西大半部及び右京四条一坊、同五条一坊の地にあたる。南北に走る朱雀大路が村域を東西に二分していた。
村名について「京都府地誌」は「土人云」として、昔、涌泉が多く耕作に適していたため、「
壬生村
みぶむら
元和五年(一六一九)の安芸国知行帳は「ミふ品村」と記すが、広島藩御覚書帖は「壬生村」とする。慶長六年(一六〇一)の検地により高五一九・四石となる。明知・給知入交じりで、寛永一九年(一六四二)より免は上り詰六・〇五、下り詰三・一五、享保一七年(一七三二)の虫害凶作による秋免は〇・九五、安永二年(一七七三)より定免五・九三(国郡志下調書出帳)。農業を主とする村で、入会野山三、壬生・
壬生村
みぶむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報