日本歴史地名大系 「四丁二番町」の解説 四丁二番町しちようにばんちよう 石川県:金沢市金沢城下第七連区四丁二番町[現在地名]金沢市東山(ひがしやま)一―二丁目四丁一番町の東に位置。同町に並行する通りを挟む両側町。南は観音(かんのん)町、北東は西養寺(さいようじ)町に至り、東は四丁三番町に接する。通りの長さは約一六〇間(延宝町絵図)。続漸得雑記(加賀藩史料)の元禄三年(一六九〇)の火事の記事に町名がみえ、同九年の書上(「片岡孫作筆録」加越能文書)に地子町とある。文化八年(一八一一)の金沢町絵図名帳によれば肝煎は孫六で家数一一三(うち武士・小者等二六・寺社二・医師一)。文政六年(一八二三)、木(き)町二番町と改称(「又新斎日録」加賀藩史料)。明治四年(一八七一)西養寺三ノ小路を併合し戸数九六となった(「御布告留帳」加賀藩史料)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by