火事(読み)かじ

精選版 日本国語大辞典 「火事」の意味・読み・例文・類語

か‐じ クヮ‥【火事】

〘名〙 建物、山林、船などが焼けること。《季・冬》
※殿暦‐承徳元年(1097)二月二日「子剋許有火事。二条油小路為章朝臣家也」
※文明本節用集(室町中)「火事 クヮジ」
[補注]和文では古く「ひのこと」と記されているから、「殿暦」もあるいは訓読みしたかもしれない。

ひ‐ごと【火事】

〘名〙
① 火事(かじ)。火災。
※文明本節用集(室町中)「火㕝 ヒゴト」
② 火遊び。
※俳諧・独吟一日千句(1675)第四「富をついたときく松の声 咲花の火こと必手あやまち」

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デジタル大辞泉 「火事」の意味・読み・例文・類語

か‐じ〔クワ‐〕【火事】

建築物や山林などが焼けること。火災。「火事になる」「隣家が火事を出す」「ふな火事 冬》
[補説]曲名別項。→火事
[類語]火災火難出火失火炎上大火小火ぼや小火しょうか自火近火急火怪火不審祝融しゅくゆう回禄かいろく大火災大火事山火事火の海焼失焼亡焼尽丸焼け半焼け全焼半焼火元火の元類焼貰い火延焼飛び火引火猛火火の手下火鎮火消火火消し消防火事場焼け跡

かじ【火事】[曲名]

《原題、〈イタリアIl fuocoハイドンの交響曲第59番イ長調の通称。1769年作曲。通称は火事を思わせる激しく劇的な楽想に由来する。

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改訂新版 世界大百科事典 「火事」の意味・わかりやすい解説

火事 (かじ)

火事とは,建造物,山林・原野,輸送用機器等が放火を含め意図せざる原因によって燃え,自力で拡大していく状態にあるものをいうが,人間にとって有用なものが被災するという点からは,火災と呼ぶ。《消防白書》(消防庁編)は,火災を燃焼対象物により,建物火災,林野火災,車両火災,船舶火災,航空機火災およびその他火災(空地・土手などの枯草,看板などの火災)に分類する。このうち近年の出火件数では建物火災が毎年60%以上を占めている。国により火災統計のとり方等に差異があるが,日本は概して諸外国に比べ人口単位当りの出火件数は低いが,一度火災が発生すると建築構造や都市環境などが影響して,死者発生率が高いことが特徴である。(表1に諸外国主要都市の火災件数,死者,消防・救急体制を示す)。日本における火事の出火原因は,(1)タバコ,(2)放火(放火の疑いを含む),(3)火遊び,(4)たき火,(5)こんろの順である(1981)。近年は放火の比率が高まり,とくにほとんどの大都市の出火原因の第1位になっている。火事の発生は湿度や風,気温などの気象条件と密接に関係し,また日本の建物火災は古くから火気を多く使用する時期に多い。すなわち,12月,1月,2月および春先の3月,4月(大気乾燥と強風の季節)に出火件数が増大する。

(1)建物火災 日本の建物火災件数の傾向をみると,近年は出火件数・死者数などおおむね横ばいで推移している。建物の一部で出火すると,可燃物(木材,紙,カーテン,家財など)につぎつぎと燃え広がる。木材の引火温度は260℃前後,発火温度は450℃前後であるが,炎や熱気により木材が260℃前後に加熱されると,熱分解が盛んになり分解ガス(一酸化炭素ガスCO,水素ガスH2,メタンガスCH4など)が多く放出される。そこで建築防火のほうでは,260℃を木材の〈出火危険温度〉として,防火試験などの基準の一つにしている。最近の室内にはプラスチック製品が多く使用されているが,これらが火災により加熱されると,一酸化炭素ガス,炭酸ガスのほか,塩酸ガス,シアンガスなど有害ガスを発生する。このようなガスによる中毒が,近年の耐火造建物火災(ホテル,デパートなど)で死者が多く出る一つの原因とされている。

(2)林野火災 森林火災,山火事ともいい,次のような種類がある。(a)樹冠火(または樹梢火)は林木の樹冠が燃えるもので,スギ,ヒノキアカマツなど針葉樹に多く起こる。(b)樹幹火は樹幹の燃えるもので,樹皮のあらい木やエゾマツトドマツなど樹脂のしみでている木などに多くみられる。(c)地表火は,林地や原野の地表をおおっている落葉・落枝・枯草などが乾燥すると燃えやすくなり,これらの燃えるものをいう。原野火災をとくに野火という。(d)地中火は地中の泥炭層が引火により燃えるもので,北アメリカなどでときどきみられる。

(3)車両火災 おもに鉄道車両および自動車の火災をいう。鉄道車両とくに電車火災の特異性は,(a)電気的原因によるものが多く,火のまわりが速いこと,(b)移動する車体が不特定の地点で出火すると,備付けの消火器にしか頼れない場合が多いこと,(c)避難に混乱を伴うこと,すなわち高架線上や鉄橋上,トンネル内の場合は早急な避難が困難なこと,などである。鉄道車両には貨車,タンク車などの可燃物輸送車の火災も含まれる。車両火災の大規模な事例は,1972年11月6日大阪発青森行急行列車〈きたぐに〉が北陸トンネル内で車内出火のため停車,死者30人,重軽傷700余人を出した火災で,このような火災をトンネル火災ともいう。自動車は,内燃機関と燃料を自蔵して走行するため,電気系統,燃料系統により発生する火災が多い。自動車火災の大規模な例では,79年8月22日東名高速道路(神奈川県大井町)で大型トレーラーなど9台の玉突衝突(6台炎上,死者3人,負傷8人)がある。

(4)船舶火災 船舶の火災が陸上火災と異なる点は,船舶自体が燃焼機関,燃料を多くもっていることである。たとえば,機関室,燃料油,貨物油,石炭,その他危険物が多く,消火もほとんどの場合自力に依存すること,救助方法も自力,あるいは他力によるとしても時間差が大きいこと,などが船舶火災被害を大きくする要因である。

(5)航空機火災 日本における航空機火災の件数は年間5件前後と比較的少ないが,1機が出火するとほとんどの乗員・乗客の死亡というケースになりやすい。
執筆者:

《日本災異志》には,552年(欽明13)から1865年(慶応1)までに1463件の火災が記録されている。もちろんこれは,奈良,京都,鎌倉,堺,大坂,江戸などの都市のみであり,記録されない火災はこれよりはるかに多かったにちがいない。現在でこそ大火といわれるような火災は激減したが,建築物のほとんどが木造だったこともあって,火災にあうことはきわめて多かった。火災の原因は失火や放火が大半であるが,応仁の乱のような兵火,法隆寺の焼失のような雷火,安政の大地震のような震火もあった。古代の火災記録が皇居,貴族の邸宅,寺社等に集中しているのは史料の性格から当然であるが,この時期の火災は人家が密集していなかったこともあって,多くは個々の被害にとどまった。室町時代以降都市が発達すると,延焼区域はしだいに拡大し,大火が続発するようになった。京都では,平安京遷都後まもないころから大火が起こり,何回もその大半を焼くような火災が記録されているが,江戸時代にはいってからも,1708年(宝永5),30年(享保15),88年(天明8)などの大火があった。大坂でも,91年(寛政3)の大火をはじめしばしば大火に襲われているが,1837年(天保8)には大塩平八郎の乱の兵火による〈大塩焼け〉と呼ばれる大火もあった。

しかし《日本災異志》にみえる慶長以降の火災記録の大部分は江戸に起こったものであり,大火の最大の被害地は江戸であった。徳川家康の入府後まもない1601年(慶長6)の大火に始まり,41年(寛永18),57年(明暦3),97年(元禄10),98年,1703年,72年(安永1),1806年(文化3),29年(文政12),55年(安政2)など,幕末に至るまで続いているが,そのなかで,1657年の明暦の大火振袖火事),1772年の目黒行人坂の大火,1829年の文政の大火は〈江戸の三大大火〉と呼ばれる。江戸に火災が多かった原因としては,冬から春先にかけて乾燥期が続き,しかもはげしい北西の季節風に見舞われるという気象条件や,水の便が京都や大坂などに比べて必ずしもよくなかったことなどが考えられるが,そのほかに江戸という都市のもつ特殊性を考えねばならない。すなわち,市域全体の2割弱しか町地が存在せず,そこに江戸の人口の5割をも占める町人が居住して,町地が超過密の状態にあったこと,しかも町人の7割強もが店借(たながり)層で占められ,きわめて流動的な状況にあり,京都や大坂にみられるような町人の共同体的結合が弱かったこと,そして都市全体に旗本・御家人,大名の家臣,町人と性格の異なる人々が混住していたこと,加えて江戸初期からの地方から江戸への人々の流入,こうした〈諸人入れこみ〉の絶えざる不安定のなかで発展していった都市であることが,最も大きな原因だったといえよう。〈火事は江戸の花〉といわれる背景には,そのような状況が存在したのである。

 消防や防火対策については,江戸時代以前については必ずしもはっきりしないが,本格的な防火対策や消防組織がつくられるのは江戸時代にはいってからである。江戸幕府は,最初軍役の一つとして大名・旗本に消火を命じたが,やがて定火消・大名火消の制度を整えた。これは江戸城防火を目的とする組織であったが,江戸の発展とともに,1718年(享保3)には町火消を制度化し,江戸市域全体の消防組織がいちおう整った。しかし消火器具はきわめて貧弱で,明和年間(1764-72)ころから竜吐水が使用されるようになったものの,これとて〈ぼや〉ならともかく,火が広がれば効果はなく,消火は風下の家屋を破壊して延焼をくいとめるという方法がもっぱらとられた。幕府は,明暦の大火後,大名屋敷や寺社を強制的に移転させ,火除地(ひよけち)や広小路を設けて,江戸城の防火につとめるとともに,町人にも家々に用水桶・鳶口・はしごなどを用意させた。江戸時代,最も多く火災にあったのは,日本橋・京橋および神田あたりで,1657年の明暦の大火から1834年(天保5)までの約180年間に30回以上も焼けている。この辺では,享保期に町奉行大岡忠相の奨励もあって,大店の町人は屋根を瓦葺きにし,家の一部を土蔵造,塗屋造に改造して火災に備えるようになった。また大店の町人のなかには,根岸・向島などに別宅を設け,大火が起こりやすい冬には,老人や妻子を疎開させるというようなことも行った。大火により,材木・米・衣類や手間賃をはじめ諸物価が高騰した。しかし大火が,鎖国体制下で低成長を続ける封建経済のなかで,需要を一時的にせよ高め,経済活動を活発化する効果ももっていたことに留意しなければならない。明治時代にはいっても,東京では1872年(明治5)の大火をはじめ,大火が頻々と起こった。
火消
執筆者:

明治になると,消防組織が拡充・整備され,また消防ポンプが輸入され,大正期には消防ポンプ自動車も登場,火災の規模はしだいに小さくなっていった。明治以降の大火では,明治維新早々の1872年東京で大火が起こり,現在の東京駅付近の大名屋敷が大半焼失した。新政府はこの大火をきっかけに東京府下一円を洋風の不燃都市に改造しようとしたが実現できず,銀座煉瓦街の建設にとどまった。大正に入っては,1913年東京神田で出火,大火になった。このほか沼津市や福井・新潟県下等でも大火があったが,最大のものは23年の関東大震災におけるものである(このような地震を主因として出火・延焼する火災をとくに地震火災と呼ぶ場合がある)。焼失家屋44.7万に及び世界史上でも有数の大きな被害を出した。昭和になってからは,34年函館で大火があり,また第2次大戦末期(1944-45)には,東京をはじめ全国の主要都市がアメリカ軍機による空襲で甚大な被害を受けた。戦後は,47年4月飯田市(焼失戸数4010),49年2月能代市(2238),52年4月鳥取市(5480),54年9月北海道岩内町(3298,洞爺丸台風中),56年3月能代市(1046),同8月大館市(1369),同9月魚津市(1561,フェーン現象下),76年10月酒田市(1774)などで大火が発生した。このほか1964年には新潟市で新潟地震によって昭和石油の製油所が炎上したが,石油コンビナートにおける日本で初めての大火(コンビナート火災)として問題を投げかけた。これら第2次大戦後の大火を調べると,日本海沿岸の都市に多発し,また大気が乾燥し強風のときに多く発生していることがわかる。雨中でも台風等風の強いときに比較的多発している。

古くは64年の暴君ネロの放火として伝わるローマの8日間にわたる大火が知られる。都市の形成にともない大火も頻発するようになるが,ロンドンは798年,1212年,1666年の3度にわたって大火に見舞われている。なかでも近代史上最大の大火となった1666年のロンドン大火で甚大な被害をこうむったのち,ロンドンでは煉瓦造・石造以外の建物の建築を禁ずる法律ができ,またロンドン消防隊ができた。なお世界の五大大火といわれるものは,このロンドン大火のほか,1700年のエジンバラ大火,82年のコンスタンティノープル大火,1812年のモスクワ大火(ナポレオンの遠征によるもの),71年のシカゴ大火である。第2次大戦中の空襲火災としては,1943年ハンブルクの大火,45年東京の大火,広島の原爆投下後の大火がとくに大規模な火災として顕著である。ハンブルクの空襲および関東大震災の東京・横浜の火災時には大規模な火災旋風が起こり死者を多く出した。
消防 →防火
執筆者:

火事の民俗は,予防法,消火法,見舞い,罰則,記念などに分類できる。予防については,組織的に火回りとか夜番などをおいて警戒にあたり,注意をうながす方法がある一方で,占いによる方法もある。一年の終りとか新年の元朝に山や岡に登り,家を見おろして火事の気配のある家,不幸のある家などを判断することがそれである。幕末の信州上田の原町で行われたのは,除夜に蓑を逆さに着て岡に登って占うというものであった。いわゆる岡見とか国見という民俗と一連のものである。その他〈お酉様〉が3度ある年は火事が多いとか,初午(はつうま)にふろをたてれば火事になるなどの俗信もあるが,中国地方では秋祭の神楽のときに神主が占うこともある。消火法の民俗の一つとしては,屋根の上から火の来る方向に女性の赤い腰巻を振り火をあおぐようにすれば類焼をまぬがれるという民俗伝承が広くある。また,朝火事はかえって家が繁盛する結果を生むという所がある。見舞いについては,都市でも農村でも現在もさまざまな形でみられる。最も一般的なのは炊出しである。悲しみにくれている被災者を励ますためもあり,東京とその周辺では,握飯を円形の浅い桶に入れ,その周囲にたくあん漬の下の皮まで切り落とさないものを入れて,連帯性を象徴した形にするが,これは火事の場合に限るといっている。火事は短期に多くの人の力の結集を必要とし,また心身の衰弱や疲れの要因となるため,強力なエネルギーを回復する必要がある。そのために大量の米の消費をともなうから,これは一種のハレの行為とみてよかろう。罰則については火元が対象となるが,村八分にしたり,富山県などでは村のはずれに小屋を造って住まわせることもあった。また一村全体が大きな被害を受けたときには,山形県西田川郡温海町越沢(現,鶴岡市)のように,復興祭をとり行ってから復旧にとりかかるとか,各地で伝えられるように〈焼けた年忌〉とか,〈焼け誕生〉と称し,記憶して後の戒めとするところもある。
執筆者:


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百科事典マイペディア 「火事」の意味・わかりやすい解説

火事【かじ】

人間にとって有用なものが燃えてしまうという点からは火災と呼んでいる。消防庁では火災統計上,建物火災,林野火災,船舶火災,航空機火災,車両火災,その他の六つに分類しており,このうち出火件数では建物火災が半分以上を占める。総出火件数は例年6万件前後で,1998年には5万4987件,死者2077人,負傷者7256人。出火の原因は,放火によるものが最も多く,ついでたばこ。火事が冬季に多いのは湿度が低下し,強い季節風が吹くなどの気象的原因と関係している。またビルなどの耐火建築と木造家屋ではその性状は異なる。後者では一般に,屋内の燃焼が少し進んだとき,白煙が立ち上り,これが空気の不足で一時衰え,次いで黒煙を吐き出し,内部が燃え抜かれて対流がよくなると一気に火盛りに移る。微風下で出火から焼落ちまで13〜24分。火の温度は500〜1000℃。火の伝わる速さは風速に比例。火の粉は気流に乗って激しく流れる場合と,竜巻が起こって高くもちあげられる場合がある。→防火山火事

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デジタル大辞泉プラス 「火事」の解説

火事

オーストリアの作曲家ヨーゼフ・ハイドンの交響曲第59番(1768頃?)。原題《Il fuoco》。名称は第1楽章の火事を思わせる激しさに由来するという説がある。

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普及版 字通 「火事」の読み・字形・画数・意味

【火事】かじ

火災。

字通「火」の項目を見る

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「火事」の意味・わかりやすい解説

火事
かじ

火災

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世界大百科事典(旧版)内の火事の言及

【使番】より

…また二条,大坂,駿府,甲府などの要地にも目付として出張し,遠国役人の能否を監察した。そのほか江戸市中に火災のあるときは火勢を視察して報告し,目付とともに大名課役の消防夫(大名火消)を指揮し,また定火消の火事場における働きのいかんを監察し上申した。本来は武功第一の者の務める役柄であり,戦場の標識として四半五之字の指物を用いた。…

【初午】より

…初午だけでなく二の午,三の午までする所もあり,また2月ではなく,奄美大島のように4月初午をいう所や11月初午をする所もある。高知県には家に水をかけるなど火防の行事をする所が多いが,初午の早い年は火事が多いという火に関する俗信は全国的である。茨城・福島県などではこの日は茶を飲まない,ふろをわかさないなどというが,これは火を扱うのを避けようとする気持ちからであろう。…

※「火事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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