四女子村
しによしむら
[現在地名]中川区四女子町・富船町・蔦元町・中京南通
東の境を笈瀬川が区切り、二女子村・五女子村に接する。七人の娘を七所に配したことから一―七女子の村名が生じたとも、九州守護の平貞能の子に二組の双子があったから四女子と称した(尾張名所図会)ともいう。寛文一一年(一六七一)の家数三四、人数一九五(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田畑二五町一反余のうち田が一五町余を占める。蔵入高二〇石を除いて残り四〇九石余は藩士九人の給知。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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