日本歴史地名大系 「因幡国気多郡高草郡郷帳」の解説
因幡国気多郡高草郡郷帳(気多郡高草郡郷帳)
いなばのくにけたごおりたかくさごおりごうちよう
一冊
成立 慶長一〇年
写本 鳥取県立博物館
解説 気多郡・高草郡の各村の村高・田畑面積・物成高を記し、末尾に両郡の総計と慶長一〇年九月日の記載がある。当時二郡を領した亀井茲矩が幕府へ提出した郷村帳の写とみられる。気多郡一八ヵ村・高草郡二〇ヵ村からなり、そのなかには「勝部中郷」「勝部下郷」「勝部奥郷」といった中世的呼称で表される村や、「小畑・河原」のように、のちにそれぞれ独立した近世村となる複数の村名をまとめて表記したものがあり、村切以前の村落の状況を伝えている。また本来八上郡に含まれる布袋・長瀬などが高草郡として記されており、池田長吉と亀井茲矩の領地交換伝説を裏付ける。二郡の高の総計は三万八千四九五石余・物成高三万一千石余で、物成率がきわめて高い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報