長瀬(読み)ながせ

日本歴史地名大系 「長瀬」の解説

長瀬
ながせ

[現在地名]丸子町大字長瀬

依田窪よだくぼ北部長瀬村のうち、依田川東側を南北に延びる諏訪道(現主要地方道上田―茅野ちの線)に沿った集落。長瀬村の本郷。鎌倉時代初頭より長瀬氏の本拠地と推定される地。元禄一五年(一七〇二)より、明治初年廃藩置県まで、御料(幕府領)と私領(小諸領)が錯雑していた。安永六年(一七七七)の村役人は、御料が名主・問屋各一人、組頭六人、百姓代(長百姓)二人、私領は庄屋(名主)一人、組頭二人、百姓代一人となっている(「長瀬村御料私領入組住居百姓名前帳」池内左門氏蔵)

宝暦一二年(一七六二)江戸相撲の年寄浦風が長瀬の上原源五右衛門とはかって、隠し稽古場として免許した石尊の辻があり、明和八年(一七七一)には太良吉、後の大力士雷電為右衛門が入門している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報