中国,唐末五代の僧。名は契此,別に定応大師,長汀子ともよぶ。容貌奇異,額と腹が大きく,いわゆる布袋腹である。明州奉化県の岳林寺に名籍をもつだけで,嗣法を明かさず,居所を定めず,日常生活の道具を入れた布袋をかつぎ,杖を負うて各地に乞食し,人々が与えるものは何でも布袋に放り込んだことから,布袋の名を得た。神異の行跡が多く,分身の奇あり,一鉢千家の飯,孤身幾度の秋云々,その他,謎のような偈頌(げじゆ)が知られて,生前すでに弥勒の化身とみられた。滅後はさらに俗信が加わって,その像を画いて福を祈る風が生まれ,水墨画のテーマとなる。近代は弥勒信仰の拡大とともに,いずれの寺でも,宗派を問わず,その木像を祭るようになり,観世音菩薩とあわせて,民衆にもっとも魅力のある尊像となる。日本でも,早くより七福神の一人として,招福の神とみられるが,黄檗宗の伝来によって,その信仰がいよいよ強まり,今日に至る。
執筆者:柳田 聖山
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七福神の一つ。中国の明州奉化県(現、浙江(せっこう)省)出身の禅僧。腹が大きく膨れた肥大な体躯(たいく)であった。いつも大きな袋を持ち、杖(つえ)をついて市中に喜捨(きしゃ)を求め、食物その他もらい物などいっさいを袋の中に入れて歩いたという。日本には室町時代からこの奇僧のことが知られるようになり、その福徳円満な風貌(ふうぼう)と、よく子供に取り囲まれていることが多くの人の話題となり、絵画や詩文に描かれるようになった。『守貞漫稿(もりさだまんこう)』(1853序)には、布袋の土製人形を台所のかまどの上の棚に置いておく家がかなり多くみられると記してある。布袋がどうして七福神の一つとして加えられたかは明らかでない。中国の後梁(こうりょう)の貞明2年(916)に没したと伝えられ、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の垂迹(すいじゃく)(化身)ともいわれている。
[大藤時彦 2017年4月18日]
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…福徳をもたらす神として信仰される7神。えびす(夷,恵比須),大黒天,毘沙門天(びしやもんてん),布袋(ほてい),福禄寿,寿老人,弁才天の7神をいうが,近世には福禄寿と寿老人が同一神とされ,吉祥天もしくは猩々(しようじよう)が加えられていたこともある。福徳授与の信仰は,狂言の《夷大黒》《夷毘沙門》などにもみられ,室町時代にはすでに都市や商業の発展にともなって広まっていたものと思われる。…
…しかし,彼らの組織や布教活動を示す具体的な史料はほとんど残っていない。 五代の時代には,狂僧布袋和尚が弥勒の化身とされ,民間ではしきりにその図像が描かれ,今日に至るまで,布袋の姿が弥勒仏の像となっている。北宋では,仁宗の時代(1023‐63)に貝州で起きた王則の反乱がある。…
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