固田庄(読み)かただのしよう

日本歴史地名大系 「固田庄」の解説

固田庄
かただのしよう

大字片田(かただ)付近にあったと推定される。「和名抄」那須郡方田(かたた)郷の庄園化したもの。片田地方は早くから御亭(こてや)山の沢水を利用して開発が進んだと推測され、条里遺構もかつてはみられた。暦仁元年(一二三八)一二月三日に大法師円尊が先師円基から譲られた所領の一つに、「同十禅師宮四季大般若下野国固田庄」がある(「四条天皇綸旨案」勝尾寺文書)。鎌倉初期には参議藤原定頼の息大法師円尊(天台座主)を領家とし、近江日吉社の摂社山王十禅師権現の四季大般若経料所であったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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