日本歴史地名大系 「国峰村」の解説 国峰村くにみねむら 群馬県:甘楽郡甘楽町国峰村[現在地名]甘楽町国峰南西山中より流出する管(くだ)川が西部を東北流し、東は小幡(おばた)村、西は後箇(ごか)村(現富岡市)、北は善慶寺(ぜんけいじ)村と岡本(おかもと)村(現同上)、南は秋畑(あきはた)村・轟(とどろく)村と接する。戦国期には小幡氏の国峰城があり、永禄四年(一五六一)一月、武田信玄は「小幡向国峰」に出張っている(永禄一〇年三月七日「長年寺受連覚書」長年寺文書)。近世は大光寺(だいこうじ)・永州(ながしゆう)・竹の内(たけのうち)・恩田(おんだ)地区は小幡藩領。日向(ひなた)・枇杷久保(びわくぼ)・城(じよう)・中沢(なかざわ)地区ははじめ旗本戸川領、元禄郷帳では幕府領、のち旗本小幡領。二給地は村高では各時代ともに小幡藩領が約六割を占める。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報