土屋原庄(読み)つちやはらのしよう

日本歴史地名大系 「土屋原庄」の解説

土屋原庄
つちやはらのしよう

平安期には伊勢神宮領であったと考えられる(→菅野庄。三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)の応永一二年(一四〇五)の記録(→西殿庄に「土屋原庄」が「秋山左馬頭入道方」のうちにみえる。また同記録と考えられる別のところに「土屋原下司職(中略)松井春一□請申」ともある。これらによると、同年土屋原庄には興福寺大乗院の支配が及び、興福寺国民で現大宇陀町大字本郷ほんごうの在地武士と考えられる秋山氏のもとに入ったことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...

寒の内の用語解説を読む