西殿庄(読み)にしどののしよう

日本歴史地名大系 「西殿庄」の解説

西殿庄
にしどののしよう

「春日社記録」中臣祐定記の安貞三年(一二二九)正月三日条に「西殿庄御節供」とあり、春日社神供料所と考えられる。西殿庄は正月三日のほか三月三日、五月五日、七月七日、九月九日にも御節供を勤め、この年以後も同様。

三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)では「応永十二年九月宇多一郡悉以大乗院家知行ノ時諸家領地分半分致上納了、半分ハ面々各々為本所分、但当社領ハ猶以故実分有之」として「秋山左馬頭入道分」のうちに「西殿春日社」とみえる。これは宇多郡奉行引付(内閣文庫蔵)によると、応永一二年(一四〇五)八月三〇日に、将軍足利義満から「宇多郡事、一円可有御管領候也」として宇陀郡が興福寺に返却されたことと関係するものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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