日本歴史地名大系 「土手宿村」の解説 土手宿村どてじゆくむら 埼玉県:大宮市土手宿村[現在地名]大宮市土手町(どてちよう)・宮町(みやちよう)・錦町(にしきちよう)・高鼻町(たかはなちよう)・桜木町(さくらぎちよう)大宮町の北、高鼻村の西に位置し、大宮台地上の平坦部に立地する。村の中央を南北に中山道が通る。土手村とも称した(武蔵志)。文禄三年(一五九四)八月の疋田喜右衛門様御知行分之帳(小島家文書)に「伊奈備前守ヨリ疋田喜右衛門方江渡候書抜」とあり、同帳は天正二〇年(一五九二)四月の高郷大宮之村御縄打水帳写(同文書)から書抜かれたもので、文禄三年疋田氏は大宮之村の一部を分割して宛行われ、このとき土手宿村が分立したと考えられる。同知行分之帳によると、反別田二町五反余・畑八町九反余、下田・下畑が多い。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報