デジタル大辞泉
「新田検地」の意味・読み・例文・類語
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しんでん‐けんち【新田検地】
- 〘 名詞 〙
- ① 江戸時代に行なわれた検地の一つ。すでに村高となっている本田に加えて新規に開発された新田を承認して村高に繰り入れる検地。
- ② 江戸時代、享保一一年(一七二六)江戸幕府により制定された新田検地条目。元祿七年(一六九四)の検地条目にくらべて年貢増収方針が強くうちだされている。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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新田検地
しんでんけんち
開発された新田を高請(たかうけ)(村高に編入)するための検地。江戸時代には山野、沼沢、海浜などの大規模な開発や、本村の周辺地、本田畑(ほんでんぱた)の付随地などの切添(きりぞえ)開発により、多くの新田が出現したが、それらの新田は初め高請されていないから、領主は高請して課税するため検地した。これが新田検地である。1726年(享保11)の新田検地条目制定以降の新田の検地に限り、新田検地という場合もある。新田検地には廻(まわり)検地(田畑の周囲を絵図に書いて反別を算出する)の方法が多く用いられた。高請しても新田は開発に多くの経費を要し、収穫が本田より少なかったから、開発後3年間は免税とし、等級も低く押さえて軽い年貢を課すのが常であった。これを鍬下年季(くわしたねんき)とよぶ。
[宮川 満]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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新田検地 (しんでんけんち)
幕藩領主が領内全村の田畑・屋敷地と農民を対象にする一円検地あるいは総検地に対して,総検地の施行以降に領内あるいは特定村落の新規開発地と農民を対象にする検地をいう。田畑・屋敷地の開発がおこなわれるたびごとに新田検地が実施された。江戸幕府は享保改革の新田政策において1726年(享保11)新田検地条目を発布し,幕領の享保期以降の新規開発地への新田検地は,この新田検地条目に基づいて実施された。
執筆者:佐藤 常雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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新田検地
しんでんけんち
江戸時代,従来の本田 (ほんでん) に加えて新たに開発された新田の成立を法的に確認するため行われた検地。検地の結果,新田集落が独立することもあり,また1村内の高請新田となる場合や,検地後もしばらく高外 (たかがい) として高に組まれない見取場,反高場とされる場合もあった。新田開発は,戦国時代末期~江戸時代前期にしばしば奨励されたが,検地の法令制規が整えられたのは享保 11 (1726) 年に幕府が徳川吉宗のもとで井沢弥惣兵衛ら地方功者 (じかたこうしゃ) に新田検地条目を発布させたときであった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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新田検地
しんでんけんち
江戸初期に実施された総検地後に開発された新田を対象とする検地。その新田に鍬下(くわした)年季がある場合は,年季があけた翌年に実施された。新田が小規模なときはすぐには実施されないこともある。検地により確定された石高は既存の村高(古高・本田高)に加算されたが,新田の規模が大きいときは新たに村が立てられた。幕府は1726年(享保11)8月に新田検地条目を定め,検地の仕方を示した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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