坂口新田
さかぐちしんでん
[現在地名]妙高村坂口新田
関川左岸の北国街道に沿い、北は関山村、南は大田切坂の難路を経て二俣村(現妙高高原町)。もとは大洞原とよばれる広原であった。天和三年郷帳に「坂江新田」とあり、高三七石七斗余。元禄郷帳では関山村枝郷と記される。文政四年(一八二一)坂口新田など高田藩領の二三ヵ村は、関山宝蔵院領関山村に対し、今回掘った片貝川の新規江筋を「無跡形埋立」るよう要求している(「新江堀埋立願」坂田忠顕氏蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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