中頸城郡(読み)なかくびきぐん

日本歴史地名大系 「中頸城郡」の解説

中頸城郡
なかくびきぐん

面積:六七五・一〇平方キロ(境界未定)
妙高高原みようこうこうげん町・妙高みようこう村・中郷なかごう村・板倉いたくら町・清里きよさと村・三和さんわ村・頸城くびき村・大潟おおがた町・柿崎かきざき町・吉川よしかわ

県の西部中央にあり、郡域はほぼ四地域に分断される。南に妙高高原町妙高村中郷村があり、北西は糸魚川いといがわ市、西頸城郡能生のう町・名立なだち町、新井市に接し、西は長野県北安曇きたあずみ小谷おたり村、南は同県上水内かみみのち鬼無里きなさ村・戸隠とがくし村・信濃しなの町、東は同県飯山いいやま市に接する。新井市の北東に板倉町・清里村があり、北は上越市、東は東頸城郡まき村・飯山市に接する。上越市と牧村に挟まれて三和村があり、西は上越市、東と北は東頸城郡浦川原うらがわら村、わずかな地域で北の頸城村に接する。浦川原村と上越市の北に頸城村・大潟町柿崎町・吉川町があり、西は日本海、北は柏崎市、東は東頸城郡大島おおしま村に接する。旧頸城郡中央部を占める大郡であったが、高田たかだ市・直江津なおえつ(現上越市)、新井市の成立により、現在のごとく分断された郡域となる。南域は妙高山(二四四五・九メートル)などを中心とした山地。北域の大潟町・頸城村辺りは近世初期までは湿原地帯であった。柿崎町の北端に独立峰のよね(九九二・六メートル)がある。妙高高原町からせき川が北流し、上越市直江津地区で日本海に注ぐ。ほぼ関川に沿って国鉄信越本線と国道一八号(北国街道)が通り、南北の大動脈をなす。海岸線に沿って国道八号と信越本線・北陸自動車道が南西から北東に走る。

天平勝宝四年(七五二)一〇月二五日の造東大寺司牒(正倉院文書)に頸城郡の名がある。「延喜式」神名帳頸城郡一三座のうち菅原すがはら神社・五十君いきみ神社は当郡域内に比定される。「和名抄」頸城郡一〇郷のうち荒木あらき郷・板倉いたくら郷・高津たかつ郷・物部もののべ郷・五十公いきみ郷・佐味さみ郷が当郡域にあったと考えられている。

〔原始・古代〕

地学的には高田平野は入海だったとされ、平野周辺の丘陵地に縄文時代の遺跡が数多く分布する。妙高高原町の兼俣かねまた遺跡、妙高村の葎生もぐろ遺跡・中古なかご遺跡、中郷村のまつみね遺跡、清里村の黒保くろぼ遺跡、頸城村のとうさき遺跡、柿崎町の鍋屋町なべやちよう遺跡、吉川町の長峰ながみね遺跡などが知られ、遺物も豊富である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報