坂辺村(読み)さかなべむら

日本歴史地名大系 「坂辺村」の解説

坂辺村
さかなべむら

[現在地名]赤坂町坂辺

すな川の上流惣分そうぶん村の西にある。村の南部の浜河原は、天文一一年(一五四二)砂川沿いに南下してきた尼子軍を、この地域の領主額田氏が撃退した場所という。慶長一〇年(一六〇五)の備前国高物成帳(備陽記)軽部かるべ庄に村名がみえる。「吉備温故秘録」は笹原ささはら庄の村とする。寛永備前国絵図では高三四〇石余。貞享元年(一六八四)の赤坂郡高目録(池田家文庫)によると慶長九年検地があり、高三八三石余。貞享元年の荒などを引いた残高三三八石余。「備前記」は枝村安岡やすおかふちはらを記す。享保六年(一七二一)には田畠二二町余、家数五三・人数三五三(備陽記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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