堅地町(読み)かたじちよう

日本歴史地名大系 「堅地町」の解説

堅地町
かたじちよう

[現在地名]日野町大窪おおくぼ 金英町きんえいちよう

白銀しろがね町の西、日野大窪町のほぼ中央に位置する。中野なかの城下の職人町として成立し、延宝七年(一六七九)から日野大窪町大窪組に所属。城下町割でも位置は変わらず、みなみ町通九ヵ町のうちに町名がみえる。町名からかつては多くの木地屋や塗師が住んでいたと思われる。正徳三年(一七一三)渋柿値段定証文(八日市市史)によれば、当町の塗師当番三郎左衛門と七左衛門の二名が、下大森しもおおもり(現八日市市)との間で塗物に使用する渋柿の購入値段を一駄(箕籠四杯)につき八匁七分と取決めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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