日本歴史地名大系 「日野大窪町」の解説 日野大窪町ひのおおくぼちよう 滋賀県:蒲生郡日野町日野町日野大窪町[現在地名]日野町大窪(おおくぼ)日野村井(ひのむらい)町の西、日野三町のうち中央部に位置し、西は三町のうち日野松尾(ひのまつお)町。古くは野(の)村と称し、応永二二年(一四一五)蒲生貞糺が甲賀郡大久保(おおくぼ)(現甲賀町)から住人を移住させたところから地名が生じたと伝えるが(蒲生旧趾考)、自然地形にちなむという説もある。応永二五年四月一九日付の足子交名(今堀日吉神社文書)に「おくほ」の「形部二郎」「めうしんはう」らがみえる。興性寺次第(近江真宗諸寺文書)の明応二年(一四九三)一一月二八日付の添書には「日野牧下番南大窪」とあり、中世後期には地域が南北に分れていたと考えられる。城下町割によれば、天文三年(一五三四)頃の城下形成時に当町域には東西路に沿う町として越川(えちがわ)町(南側)・杣川(そまがわ)町・上大窪町・大窪町・下大窪町(以上本町通)、鉄炮(てつぽう)町・白銀(しろがね)町・堅地(かたじ)町・南大窪町・野瀬(のせ)町・岡本(おかもと)町・麻生(あそう)町(以上南町通)、鍛冶(かじ)町・別所(べつしよ)町・永盤(えいはん)町・仕出(しで)町・松屋(まつや)町・桜木(さくらぎ)町(以上南今町通)、内池(うちいけ)町・双六(すごろく)町・野辺(のべ)町・清雲(せおん)町・南田(みなみだ)町(以上内池町通)、赤銅(あかがね)町・塗師(ぬし)町・北大窪町・池田(いけだ)町(以上北町通)、五反田(ごたんだ)町・早過(はやすぎ)町・米搗(こめつき)町・梅屋(うめや)町(以上北今町通)、蔵王(ざおう)町・平子(ひらこ)町・北川(きたがわ)町・北田(きただ)町(以上音羽町通)のほか清水(しみず)町や南北路に沿う町として河下(かわしも)町・立木(たちき)町・小橋(こばし)町・大橋(おおはし)町・根笹(ねざさ)町・河上町・四丁・三丁・二丁・一丁(杣川上大窪辻子)、稲田(いなだ)町・木津原(きづはら)町・河原(かわら)町・這上(はいあがり)町・横(よこ)町・野神(のがみ)町・崎原(さきはら)町・磯森(いそもり)町・一丁(岡本麻生辻子)などの町割を行った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by