日野の地名は耕作に適した肥えた地を意味すると思われ、北東部にある
大永七年(一五二七)蒲生高郷から家督を継いだ蒲生定秀は天文三年頃に中野城を築き、当地に城下の町割を行った。この中野城下時代の町割について詳細にうかがい知ることのできる絵図類などは残されていないが、天文二年に定秀が定めた町割を示すという日野町割之書付写(日野町志)や同三年の様子を表すという日野城下町割(蒲生旧趾考)などが残る。
日野郡の中部に位置し、北は
考古遺跡は日野川流域に点在している。石器の採取地が六ヵ所あるが、縄文期か弥生期のものかは不明。弥生遺跡は三ヵ所、古墳は約二〇基が確認されている。古墳は
郡の南東端に位置し、北は神崎郡永源寺町・八日市市、東から南にかけては甲賀郡
天智天皇が宮地を移そうとした「蒲生郡の匱野」(「日本書紀」天智天皇九年二月条)を当町域とする説もある。古代蒲生郡
奥州街道筋の東西の町人町。東は
伊勢参宮街道を南下して松坂町に至ると松坂大橋で
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新