蒲生郡(読み)がもうぐん

日本歴史地名大系 「蒲生郡」の解説

蒲生郡
がもうぐん

面積:二二一・〇八平方キロ
日野ひの町・蒲生がもう町・竜王りゆうおう町・安土あづち

県の南東部に位置し、近江八幡市と八日市市によって南北に分断される。北側に安土町、南側に竜王・蒲生・日野の三町がある。南部は東西に細長く、南は甲賀郡土山つちやま町・水口みなくち町・甲西こうせい町、西は野洲やす郡野洲町、北は近江八幡市・八日市市・神崎郡永源寺町、東は永源寺町と土山町に接する。東方の鈴鹿山脈を水源とする日野川が日野町と蒲生町のほぼ中央を貫流し、竜王町の北端を西流する。国道八号・同三〇七号や近江鉄道本線、名神高速道路などの交通網が発達。日野町東部は鈴鹿国定公園の境界部に位置する。郡北部の安土町は南から西にかけて八日市市・近江八幡市、北から東にかけて神崎郡能登川のとがわ町・五個荘ごかしよう町、八日市市に接する。中央部をほぼ東西に国道八号・東海道新幹線・東海道本線が通り、西部にはかつて琵琶湖が湾入した小中しようなかの湖・大中だいなかの湖などの内湖があったが、後者は干拓地化された。郡名は植物の蒲が生える地であったことに由来するという。「和名抄」東急本は「加万不」と訓じる。表記は生郡(平城宮跡出土木簡、天平宝字二年二月二四日「画工司移」正倉院文書ほか)を蒲の異体字とみれば、蒲生が唯一である。なお、近世までの郡域は北西部の一部を除く現近江八幡市の大半と八日市市の南半、永源寺町の西部、能登川町・五個荘町の南端部を含んでいた。以下、近世までの記述については、かつての郡域を対象として言及する。

〔原始〕

竜王町高塚たかつか遺跡で二点の尖頭器が、日野町薬王寺山溜やくおうじやまどめ遺跡で有舌尖頭器が、安土町瓢箪ひようたん山でも柳葉型尖頭器と旧石器時代終り頃の遺物が採集されているが、遺構の検出はない。縄文時代では早期の遺跡として安土町弁天島べんてんじま遺跡や石鎗が採集された蒲生町大塚おおつか城跡がある。日野町焼山やけやま遺跡で石匙、蒲生町堂田どうだ遺跡で石匙・石鏃、竜王町田中たなか遺跡で石鏃と土器片がそれぞれ採集されているが、遺構は未確認である。同時代で遺構の確認された遺跡は蒲生町麻生あそう遺跡で、晩期に属する平面形が直径約五メートルの円形を呈する竪穴住居跡が知られる程度である。弥生時代には、日野川水系に多くの集落跡が認められるようになる。中流域の竜王町内では、拠点集落と考えられる綾戸あやど遺跡があり、七里しちり芝元しばもとつつみたにの各遺跡の高地性集落も確認されている。これらの遺跡は中期のもので、日野川左岸中流域の沃野を望む位置にあり、芝元・堤ヶ谷遺跡は野洲川方面へ抜けるルートを押える要地に立地している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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