塚原俊郎(読み)ツカハラ トシオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「塚原俊郎」の解説

塚原 俊郎
ツカハラ トシオ


肩書
衆院議員(自民党),労相

生年月日
明治43年10月2日

出生地
茨城県

学歴
東京帝国大学文学部社会学科〔昭和10年〕卒

経歴
同盟通信社記者を経て、昭和20年内務省に入り内務書記官、地方局世論調査課長などを歴任。24年の衆院選挙に当選し、以後14回連続当選。その間、建設政務次官、予算委員会委員長、佐藤内閣の総務庁長官、労働大臣などを歴任した。

没年月日
昭和50年12月7日

家族
長男=塚原 俊平(衆院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「塚原俊郎」の解説

塚原 俊郎
ツカハラ トシオ

昭和期の政治家 衆院議員(自民党);労相。



生年
明治43(1910)年10月2日

没年
昭和50(1975)年12月7日

出生地
茨城県

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部社会学科〔昭和10年〕卒

経歴
同盟通信社記者を経て、昭和20年内務省に入り内務書記官、地方局世論調査課長などを歴任。24年の衆院選挙に当選し、以後14回連続当選。その間、建設政務次官、予算委員会委員長、佐藤内閣の総務庁長官、労働大臣などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「塚原俊郎」の解説

塚原俊郎 つかはら-としお

1910-1975 昭和時代後期の政治家。
明治43年10月2日生まれ。同盟通信社記者,内務省課長をへて,昭和24年衆議院議員(当選10回,自民党)。衆議院予算委員長,同議院運営委員長などをつとめた。第1-第3次佐藤内閣の総理府総務長官,労相。昭和50年12月7日茨城県那珂湊市で演説中にたおれ,急死した。65歳。茨城県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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