佐藤内閣(読み)さとうないかく(その他表記)Sato Administration

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐藤内閣」の意味・わかりやすい解説

佐藤内閣
さとうないかく
Sato Administration

佐藤栄作は 1964年 11月9月に首相に指名された。福田赳夫と自派の田中角栄のバランスをとりながら,72年7月7日まで連続7年半にわたり,歴代内閣では連続最長期の安定政権を保持した。佐藤内閣は当初「社会開発」と「安定成長」を目標に掲げたが,折からの経済不況に対して戦後初の赤字国債を発行した。以後日本経済は「いざなぎ景気」を通じ,未曾有の高度成長を実現,また 67年6月に資本自由化基本方針を決定するとともに,外国資本の日本参入防止のため企業合併を推進した。日本の経済力の上昇に伴い対米貿易黒字も 68年頃から急増し,鉄鋼輸出自主規制などの措置がとられ始めた。特に 69年に開始された日米繊維交渉は,沖縄返還交渉と絡み大きな政治問題となった。佐藤政権の外交は,日韓基本条約を締結するとともに,アメリカのベトナム戦争遂行を支援し続けた。その中で 72年に「核抜き本土並み」の沖縄返還を実現させた。しかし対中国関係では進展は見られず,国内では物価上昇や公害問題など経済成長の弊害が噴出し,住民運動が起こり,東京都をはじめ各地で革新自治体が生まれた。

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