日本歴史地名大系 「塩硝蔵跡」の解説 塩硝蔵跡えんしようぐらあと 愛知県:名古屋市千種区鍋屋上野村塩硝蔵跡[現在地名]千種区北千種藩の焔硝(火薬)庫ならびに火薬調合所跡。焔硝庫は初め天守閣内にあった。万治元年(一六五八)城内御深井(おふけ)丸に新造された穴蔵へ移され、寛文五年(一六六五)に大坂城に落雷、天守炎上のことなどがあり、宝永四年(一七〇七)に再び末森(すえもり)山に蔵を建てて郭外に移した。享保一三年(一七二八)ないし一四年に鍋屋上野(なべやうえの)村の萱場池(かやばのいけ)の東に移された(金城温古録)とされているが、「鸚鵡籠中記」によれば、宝永三年に「萱場池塩硝場」で火薬の調合中の爆発事故で二七人が死亡しており、塩硝場(火薬調合所)はすでに移されていたと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by