塩道村(読み)しゆみちむら

日本歴史地名大系 「塩道村」の解説

塩道村
しゆみちむら

[現在地名]喜界町塩道しおみち

早町そうまち村の北東に位置し、南部は海に面する。喜界島のひが間切のうちで、シュミチという。島建て(村の開創)は北の山手の麓に広がる雨土知あまどうちなどとされる。村は山手のニイバタと、海側のコミヤの二地区からなり、ニイバタには琉球王国時代のミヤ跡がある。正保琉球国絵図に村名の記載はないが、当地辺りに「大船出入なし」と記されており、港津の機能があったことが知られる。正保元年(一六四四)没の思語羅志の弟思日子は「東間切塩道村」の東与人を勤めたという(「勘樽金一流系図」奄美大島諸家系譜集)。元禄五年(一六九二)の喜界島帳留(列朝制度)に東間切与人のとして「塩道村」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む