増長村(読み)ましながむら

日本歴史地名大系 「増長村」の解説

増長村
ましながむら

[現在地名]岩槻市増長

長宮ながみや村の南に位置し、元荒川左岸の自然堤防上に集落が形成されている。江戸時代初期から岩槻藩領で幕末に至る。田園簿に村名がみえ、高は田方八〇石余・畑方四五石余。「寛文朱印留」には下総国葛飾郡所属として掲載されている。延宝八年(一六八〇)の岩付領内村名石高家数人数寄帳(吉田家文書)によると家数二二(本百姓一九・水呑三)、人数一四五、岩槻藩の地方支配は新方にいがた筋に所属。貞享三年(一六八六)の岩槻藩領郷村高帳では高一八二石余、ほかに新田高二六石余、小物成は藍瓶役鐚二〇〇文、見取場田畑四町四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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