外塚村(読み)とのつかむら

日本歴史地名大系 「外塚村」の解説

外塚村
とのつかむら

[現在地名]下館市外塚

大谷おおや川左岸、江戸道(結城街道)沿いに位置し、東は菅谷すがや村。文明一〇年(一四七八)水谷勝氏が下館に築城後、同氏の支配地となり、江戸時代は寛永一九年―寛文三年(一六四二―六三)の在番時代を除き下館藩領。元和九年(一六二三)の水野谷様御代下館領村々石高并名主名前控(中村家文書)に村高二四八・一三四石とあり、天保八年(一八三七)の常陸御国絵図御改之記(同文書)には鎮守羽黒神社、家数九、馬三とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む