外平喜新田・川中彦作新田(読み)そとびらきしんでん・かわなかひこさくしんでん

日本歴史地名大系 の解説

外平喜新田・川中彦作新田
そとびらきしんでん・かわなかひこさくしんでん

[現在地名]木曾岬村外平喜

外平喜新田は加路戸かろと川の東岸、おお新田の南、西対海地にしたいがんじ新田の北にある。承応三年(一六五四)長島ながしま城下出口でぐち村吉太夫(一説に山口喜太夫)の開発による(長島細布)。この北の川中の葭山に彦作によって開かれたのが川中彦作新田である。宝暦治水工事の引堤による代替地として宝暦九年(一七五九)見入けんにゆう川埋立地に外平喜新田代地四町一反が与えられた(木曾岬村史)近世を通じて長島藩領。安政元年(一八五四)家数三五、人数一九〇(伊勢長島誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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