日本歴史地名大系 「多仁郷」の解説 多仁郷たにごう 山口県:周防国熊毛郡多仁郷「和名抄」高山寺本・刊本ともに「多仁」と記し、いずれも訓を欠く。「日本地理志料」は、「多仁」を「多伏」の誤りとして太布世(たふせ)と読み、郷の範囲を上田布施(かみたぶせ)・下田布施・田布施市・別府(べふ)・麻郷(おごう)・麻郷奥(現田布施町)、浜(はま)・竪(たて)ヶ浜(はま)・平生(ひらお)(現平生町)、室積(むろづみ)(現光市)の諸邑を比定する。これに対し「防長地名淵鑑」は、前記各村とすれば波濃(はの)郷は郷域が過小となって成立しないとしてこれを否定し、現光市の室積から光井(みつい)にわたる一帯を想定しているが、年不詳の源頼朝書状(尊経閣所蔵文書)に「多仁庄内田布施方」とあることや、康保三年(九六六)五月三日の清胤王書状(九条家本「延喜式」裏文書)に、室泊から大島(おおしま)・多仁両村の船が上方へ航行の途中、風波に遭って積荷を捨てたとある記事などからみて、多仁郷は現田布施周辺であろうとして「日本地理志料」説を支持する見解も出されている(光市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by