朝日日本歴史人物事典 「多気義幹」の解説
多気義幹
鎌倉初期の常陸(茨城県)の武将。常陸平氏で,常陸国筑波郡多気が名字の地。直幹の子で,通称は太郎。父のあとをついで常陸大掾 となり,源頼朝が東国に勢力を張るにおよんで彼に従った。文治5(1189)年の頼朝の奥州藤原氏征討のさいは東海道軍に参加,建久1(1190)年11月の頼朝上洛にも随兵として供奉している。しかし,常陸守護八田知家と勢力を競い,建久4(1193)年,知家の謀略によって,曾我兄弟仇討事件に際しての鎌倉不参をとがめられて所領没収。その所領と大掾職は同族馬場資幹の手に移った。<参考文献>『茨城県史/中世編』
(新田英治)
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