朝日日本歴史人物事典 「多治比文子」の解説
多治比文子
平安時代の巫女。奇子,綾子,あや子とも書く。北野天満宮の創祀者。平安京の右京七条二坊十三町の住民。天慶5(942)年に天神(菅原道真の神号)は文子に都の辺の右近馬場のある北野に社殿を構えて祭祀すべきと託宣した。しかし身分の低かった文子にはこれは容易ではなく,とりあえず自分の邸内に仮の叢祠を作り祭祀した。5年後の天暦1(947)年にようやく北野に移建した。同9年には近江(滋賀県)比良の神官良種の7歳の子にも託宣があったのを契機に,朝日寺の僧最珍(鎮)らと共に力を併せて霊祠を造営した。
(勝浦令子)
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