日本大百科全書(ニッポニカ) 「多田荘」の意味・わかりやすい解説
多田荘
ただのしょう
摂津(せっつ)国猪名(いな)川上流域の多田盆地(兵庫県川西(かわにし)市および猪名川町)にあった荘園。986年(寛和2)多田源氏の祖である源満仲(みつなか)が開発したのに始まるという。11世紀には多田源氏が仕えた摂関(せっかん)家に寄進され、そのもとで多田氏が荘務を管掌したが、鎌倉幕府の成立にあたって多田行綱(ゆきつな)は多田荘を頼朝(よりとも)に没収され、大内惟義(おおうちこれよし)の手を経て承久(じょうきゅう)の乱(1221)以降、北条得宗(とくそう)家領となった。この得宗が多田荘に得ていた権限は地頭職(じとうしき)であるとする見解もあるが、推測の域を出ない。幕府に組織された多田荘の武士は多田院御家人(ごけにん)とよばれたが、これは給田(きゅうでん)1町歩を与えられた中小名主と変わらない小さい規模の御家人であった。南北朝期には佐々木京極(きょうごく)氏が支配し、その下で約60か村の村々が成立していた。
[細川涼一]