日本歴史地名大系 「大分県史料」の解説
大分県史料
おおいたけんしりよう
三七冊 大分県史料刊行会・大分県教育委員会編 大分県史料刊行会・大分県教育委員会 昭和二七―五九年刊
構成 (一)第一部宇佐八幡宮文書之一(到津文書一)、(二)第一部宇佐八幡宮文書之二(諸家文書)、(三)第一部宇佐八幡宮文書之三(永弘文書一)、(四)同(永弘文書二)、(五)同(永弘文書三)、(六)同(永弘文書四)、(七)第一部宇佐八幡宮文書之四(小山田文書)、(八)第二部宇佐・下毛諸家文書、(九)第二部大分諸家文書、(一〇)第二部西国東郡・東国東郡・速見郡一諸家文書、(一一)第二部速見諸家文書二、(一二)第二部北海部・南海部諸家文書、(一三)第二部大野・直入・玖珠・日田諸家文書、(一四)第三部切支丹史料之一(イエズス会の通信)、(一五)同二(イエズス会の通信)、(一六)同三(豊後国海部郡類族帳)、(一七)第四部各藩史料(豊前・豊後各藩法令集)、(一八)第五部近世庶民史料一(豊後国日出庄指出帳)、(一九)同二(文禄二年豊後国検地帳)、(二〇)第六部考古資料、(二一)第七部民俗資料、(二二)第八部先賢資料一、(二三)同二、(二四)第一部宇佐八幡宮文書之一(到津文書二・宮成文書一)、(二五)第二部諸家文書補遺、(二六)第四部諸家文書補遺(二)、(二七)第三部続キリシタン史料(一)、(二八)同(二)、(二九)第一部補遺(一)宇佐八幡宮文書之五(益永文書)、(三〇)第一部補遺(二)宇佐八幡宮関係文書、(三一)第二部補遺(三)大友家文書録一、(三二)同(四)大友家文書録二、(三三)同(五)大友家文書録三、(三四)同(六)大友家文書録四、(三五)第二部補遺(七)諸家文書補遺(三)、(三六)第二部補遺(八)豊後国図田帳・豊後国田代注進状案、(三七)第二部松平一伯関係文書・佐伯藩史料
解説 大分県史料の発刊主体である大分県史料刊行会の事業は第一巻から一三巻までの第一期事業と、一四巻から二三巻までの第二期事業分および補遺の二四・二五巻まで。事業期間は昭和二六年から三九年。その後確認された史料は県教育委員会と県中世文書研究会の共同事業として同四八年始まり、同五九年まで一二巻を刊行。中世関係史料は県外所在分まで採録。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報