大宝寺町
だいほうじまち
[現在地名]南区大宝寺町西之丁
錺屋町の西にある。町域は南北の佐野屋橋筋と九之助橋通の交差点を中心に、南北はほぼ半町ずつで、九之助橋通の両側町。町名は明暦元年(一六五五)から確認される(南区志)。慶長一四年(一六〇九)九月吉日付の摂州欠郡三津寺村御検地帳写(御津宮文書)によると、三津寺村内に大宝寺と寺屋敷があり、寺屋敷のうち三畝は除地であった。この除地三畝は、幕府領となった元和元年(一六一五)にも引継がれ(同年九月吉日付「摂州欠郡三津寺村御検地帳写」同文書)、大宝寺は同五、六年頃生玉寺町(現天王寺区)に移転させられた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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