三津寺(読み)みつてら

日本歴史地名大系 「三津寺」の解説

三津寺
みつてら

[現在地名]南区三津寺町

真言宗御室派準別格本山、七宝山と号し、本尊十一面観音。江戸時代には三津寺町に含まれ大福だいふく院と号した。寺伝によると応神天皇の墓所に行基が樟を植え、天平一六年(七四四)その地に聖武天皇の勅命によって開創したと伝える。御津みつ宮の縁起では、神亀年間(七二四―七二九)行基が八幡菩薩の本地堂として阿弥陀如来を安置したことに始まるという。また「摂陽群談」は「寺記云、上古難波の洲中にして、古樹岸にあり、仁徳天皇御宇(中略)十一面大悲閻浮檀金一寸八分像一躯を得給ふ、此尊容歴世に伝り、聖徳太子渇仰し給ひ、自ら亦十一面の木像を手造し、金像を腹内に籠納め、当院に安置伝来せり、天竺・震旦・和朝三国一仏を以て、三寺みつでらと称ス」と開基を聖徳太子とし、名称の由来を記す。当地一帯は古代御津(難波津)に含まれたとする説が有力で、寺伝にいう行基開創とは、「行基年譜」の行基七七歳条に「大福院、御津、二月八日起、尼院已上在摂津国西城郡御津村」とみえる四九院の一つ大福院をさすと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典 日本の地域遺産 「三津寺」の解説

三津寺

(大阪府大阪市中央区心斎橋筋2-7-12)
大阪市都市景観資源指定の地域遺産。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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