大山覚威(読み)オオヤマ カクイ

20世紀日本人名事典 「大山覚威」の解説

大山 覚威
オオヤマ カクイ

大正・昭和期のジャーナリスト 日本子供新聞社長。



生年
明治15(1882)年

没年
昭和9(1934)年

出生地
岡山県

別名
号=雲峰

経歴
中央公論国民新聞などに勤め、明治44年京城日報編集局長となり、大正5年まで在任。その後東京朝日新聞、新愛知新聞、毎夕新聞、中外商業新報大阪時事新報などを経て、14年日本子供新聞社長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大山覚威」の解説

大山覚威 おおやま-かくい

1882-1934 明治-昭和時代前期のジャーナリスト。
明治15年1月24日生まれ。「中央公論」「国民新聞」記者をへて,明治44年から大正5年まで「京城日報」の編集局長。のち「東京朝日新聞」「毎夕新聞」などの要職をつとめる。14年「日本子供新聞」を創刊。昭和9年2月11日死去。53歳。岡山県出身。号は雲峰。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android