京城日報(読み)けいじょうにっぽう

改訂新版 世界大百科事典 「京城日報」の意味・わかりやすい解説

京城日報 (けいじょうにっぽう)

朝鮮で発行された日刊の植民地新聞で,朝鮮総督府の準官報的な役割を果たした。日韓併合(1910)直前の1906年9月1日,韓国統監伊藤博文の命名で,《漢城新報》と《大東日報》の2紙を買収合併して創刊。京城日報社刊。《大韓毎日申報(しんぽう)》をはじめとして,抗日の論陣を張る朝鮮語新聞に対し,同時期に創刊された英字新聞《ソウル・プレスThe Seoul Press》とともに日本統監府の強力な言論機関であった。10年,朝鮮総督府設置とともに,国民新聞社の徳富蘇峰を監督に迎えてその指導をうけ,また《大韓毎日申報》を買収,改題して同年10月ハングル新聞《毎日申報》を創刊(1924年分離独立,38年《毎日新報》と改題)。《朝鮮日日新聞》と並ぶ二大新聞として,日本支配の終焉まで続いた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「京城日報」の意味・わかりやすい解説

京城日報
けいじょうにっぽう

第二次世界大戦前、京城(現ソウル)で発行されていた日本の植民地最大の新聞。韓国統監伊藤博文(ひろぶみ)が、朝鮮統治の徹底を図るため、『漢城新報』『大東日報』の2邦字紙を買収して、1906年(明治39)9月1日創刊、伊東祐侃(ゆうかん)が経営にあたった。10年8月、韓国併合で朝鮮総督府が設置されると徳富猪一郎(いいちろう)(蘇峰(そほう))が経営を監督、以後、総督府の機関紙として「内鮮一体」の実をあげるため、朝鮮半島の実情を伝え、同時に民衆の指導啓発にあたることを至上任務とした。昭和に入ると、総督が交替すると社長も交替するなど、総督府と一体になってその施策の実現に大きな役割を果たした。敗戦後の45年(昭和20)10月1日、日本人職員が退社、朝鮮人従業員に新聞を委譲してその役割を終えた。

[春原昭彦]

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